父の一周忌が終わりました。
みんな元気に集まることができて、本当によかったよかった。
この一年間、泣き続けていたけど、今日は朝からなんだか落ち着いていて、気分もすっきりとしていました。
法要が始まったら、すぐに涙腺は崩壊したけれど、それでも初盆や納骨の時とは違う自分に気づきました。
ようやく少し前に進めた?
いろんなことがあったけど、父が亡くなってからの一年、思い出すのは、人の優しさ。優しさに触れて感動したことがたくさんありました。
父が亡くなってすぐに、
何もできないけど甘い物送るから、みんなで食べて!
とアイスクリームやケーキを送ってくれた友達が、
ブログを通してマルコの人柄に触れて、
「悔しくて悔しくて『こんなにまだまだ人生を楽しもうとしてた人の死に意味がなくてたまるか!』って感じている」ということを綴ってくれました。
マルコから力をもらっている、と言ってもらえて本当に嬉しかった。
マルコの一生が報われる気がした。
マルコはまだまだ叶えたいことがたくさんあったんだから、叶えたいことや思いは時間に言い訳せず、絶対に叶えなくちゃと思えたよ、と。
私は私で、そのときに友達からもらったメッセージを読み返しては泣いて、奮い立って、たくさんの力をもらってきました。
本当に本当に感謝しています。
近所に住む友達は、炊き込みご飯や里芋の煮物など、手作りの夕ご飯を届けてくれて、温かくて、美味しくて、心が温まりました。
自分のことのように一緒に泣いてくれる友達を見て、我慢しなくてもいいのになぜだか涙を我慢してしまって、うまく感謝の気持ちを伝えられなかったけど、本当に救われました。
父への手紙も、プレゼントも、心がこもっていて、いつも温かくて、嬉しくて、ただただ感謝しかありません。
職場の同僚の先生からは、
娘が手がなく生まれたとき、すべて起こることに必ず意味がある、何かを教えてくれてる、と考えるようになりました。
きっと、お父様も先生に何かを伝えてるのかもしれません。
とメッセージをいただきました。
きっとその通りで、マルコからのメッセージはたくさんあるはずだと思いながら一年間過ごしてきました。
父からのメッセージは少し分かったような気がしていますが、まだまだ全てはわかりません。
きっといろんなメッセージを送ってくれているはずです。
天国で会えた時、答え合わせをするのが楽しみです。
父とほぼ同い年の、元職場の先輩からは、
お父さんをいっぱい思い出してあげてください。たくさん涙してください。お父さんは、苦笑しているでしょうが嬉しいでしょう。いっぱい引きずるのは、愛情の証です。
と言っていただき、苦笑しているマルコがすぐに目に浮かびました。
こんなはずなかったんだけどな〜ごめんね〜てへへ〜って笑っている父の姿。
いっぱい思い出していっぱい涙して
ちょっとすっきりして、起き上がる、ということができました。
そして、多くは語らないけれど「元気にしてる?」と案じてくれる友達には、
「うん、元気だよ〜!」としか答えられないけれど、心配してくれる気持ちが嬉しくて、それだけでホッとすることもありました。
私が元気がないのを察してか、たまたまか、
「これ、あげる。」と折り紙をくれたクラスの子。
ちょっと泣きそうになりました。
嬉しくて、きっと気遣ってくれてるんだと思って、優しい子だなぁと感動しました。
大切な人を亡くして、初めて分かったことは、
何て声掛けたらいいのかわからない、と思って何も言わないで見守っていただくよりも、
どんどん聞いてほしい、父の話をさせてほしい、父のことを知ってほしい、と私は思っているんだ、ということでした。
自分から話すと、変な空気になっちゃうから話しにくいけど、本当は話したい。
どんどん質問してほしい。
父はこんな人で、こんな人生で、こんなに素敵な人たちに囲まれていたんだよ、っていうことを知ってほしい。
でも、そんなことを、話せる場はなかなか無いのが現実で、そりゃそうだと思います。
人によって、違うと思うから、そっとしておいてほしい、と思う人もいると思うけど、
自分が逆の立場になったとき、大切な人を亡くしてしまった人に対して、
今までとは違う、接し方ができるのかな、とか考えています。
お父さん、一年辛かったよ。そりゃあもう。
でもね、私たちみんな、ちゃんと、少しずつ前に進んでいるからね。
今日は、頼もしい姉二人がいるおかげで、
私はサッポロ黒ラベルの瓶をたらふくいただきまして、
ありがとうございます。
姉たちの挨拶に、私たちの思いが全て詰まっていました。
明日からもがんばろう。
