イタリア半島にある都市はすべてが歴史的、しかし、ラヴェンナほど数奇な運命に翻弄された町はありません。
ラヴェンナが高貴な女性なら彼女の人生はまさに波乱万丈。前1世紀、カエサル(ジュリアス・シーザー)に少しの間,訪問を受けたあとローマ帝国、西ローマ帝国、東ゴート王国、ビザンツ帝国、ランゴバルド王国の王たちと結婚・離婚・死別をくり返し、最後はフランク王国に貰われたと思いきやすぐローマ教皇に身を預けられる。これは756年の出来事。その後も彼女の人生は19世紀半ばにイタリア王国に併合されるまで落ち着くことはありませんでした。しかし、14世紀にフィレンツェを追放されたダンテを迎え入れたことは彼女の善き思い出となりました。ビザンツ文化のシンボルともいえるモザイク壁画に飾られた建物群は彼女の誇りであり、それを見学にやってくる人たちを暖かく迎えながら余生を送っています。映画『赤い砂漠』の舞台は1960年代のラヴェンナです。
ラヴェンナではモザイクが堪能できる教会5~6か所、ガッラ・プラチディア廟、テオドリックの墓、ダンテの墓など時間をかけてゆっくり廻るにはレンタサイクルが絶対おすすめです。私マルコは週単位で借りました。健脚の方なら徒歩でも可能ですが、やっぱり自転車が便利、道は平坦、田舎道も多く、郊外に出れば交通量も少なく、バスの時間を気にすることなく見学できます。夏であればアドリア海で海水浴が楽しめます。是非!お試しを…
見学先は聖ヴィターレ聖堂が中心になります。ビザンツ皇帝ユスティニアヌス肝いりの6世紀の建物ですが、内部の壁画装飾モザイクの華麗な幻想ムードに酔いしれることができます。私マルコが訪れた夏には週1回、夜8時からバロック音楽演奏会が行われていました。抜群の音響効果で聴く音楽、周囲から聴衆を見つめる壁画の人物たち、この空間を体験できて幸せでした。ラヴェンナでの最高の思い出でです。
素朴な外観からは想像できない内部の美しさ。訪れる人は目の錯覚かと思ってしまう。赤・黄・緑・紺が基調の色のハーモニーはその濃淡によって神々しい雰囲気を作っている。15世紀アンブロージョ・トラヴェルサーリは「今だかつてこのように繊細でエレガントなモザイクは目にしたことがない。」と記しました。
壁面の半円形の部分の十字架を背負った人物は誰か、諸説あるようです。ただ左手に持った本は四福音書だとされています。
使徒たちの間の水盤と鳩は寓意的な意味があって、鳩は魂の象徴で水は癒しと平和を暗示しており、永遠の命の水で魂の渇きを癒しているという解釈です。(ラヴェンナ:ロンゴ社の資料) ガッラ・ブラチディア→人物紹介
ラヴェンナ中央駅から5キロ南方にあってバスか自転車で移動。タクシーの場合は待機時間が必要。かつてアウグストゥスが軍港を建設した所で教会は6世紀の建築です。アウグストゥスの像がある。ラヴェンナで初めてキリスト教をひろめ殉教した聖アポリナーレの墓の上に建てられたバジリカ式の教会。内陣の壁面のモザイクは地上の楽園を描いていて、その色彩美に目を洗われる。この教会の後方には松林がひろがり、ダンテやバイロンによって、うたわれている。→都市の喧騒を離れて立つこの教会の美しさ! 詩人たちがテーマに選んだのことも納得です!
6世紀初頭、国王テオドリックが建造 11世紀改名してこの教会名となる 聖アポリナーレの遺骸をイン・クラッセから移葬したため「新しいヌオーヴォ」と改名した。しかしこの点については論争となり教皇の調停で結局遺骸はイン・クラッセにあることになった このお話の顛末はともかくモザイクの迫力はイン・クラッセをはるかにしのいでいます バジリカ式の長方形の左右の身廊がすべてモザイクによって埋め尽くされている。壁面には聖書物語、テオドリックの死後、ビザンツ皇帝ユスティニアヌスはテオドリックの痕跡をこの教会から消し去った。
476年 ゲルマン人傭兵隊長オドアケルは西ローマ帝国を滅ぼしたが間もなく自分自身も東ゴート族の王テオドリックによって殺害493された。東ゴート王国を築いたテオドリックは優れた人物でラヴェンナを都と定めた。ゲルマン人、ローマ系住民の双方から信頼されていた。従来の有力者を厚遇しローマの習慣を尊重しながら港湾整備や減税策に取り組んだ。しかし宗教政策に失敗し彼が死ぬとともに政情不安となり東ローマ帝国に支配された。540 中央駅を出て右方向に徒歩で頑張りましょう 屋根ドームは直径約11mの一枚岩 厚さ1m 6世紀初頭、テオドリック自ら造営を始めたが、当時どのように巨石を積み上げたのか?石の縁についている取手の穴に注目!「テオドリックは嵐に見まわれてこの廟に避難したが不運にもこの屋根に落雷、テオドリックは雷で絶命」という伝説が残っています。