この遺跡が世界的に知られているのは、その悲惨な滅亡と奇跡的な発掘、そして古代都市の全体を眺められる唯一の場所だからです。
1817年、仏文学者スタンダールは11回も訪れ「古代文明については今までに多くの本で読んだが、それを実際に目の当たりにすると喜びもひとしおだ」と記しています。ナポリから20㎞ 中央駅からヴェスヴィオ周遊鉄道40分 徒歩15分で遺跡入口へ到着 前4世紀からローマの支配に入り、ワインとオリーブの生産と交易で栄えた。貴族の別荘地でもあり、その豪邸・神殿・闘技場・浴場などの大規模建築物から洗濯屋・居酒屋などの小規模なものまで多種に及ぶ建築物があった。79年のヴェスヴィオ山噴火で埋没 『博物誌』のプリニウスは火山灰が4~5m降り積もったと記している モザイクだけでなくポンペイ・レッドと呼ばれる赤で仕上げられたフレスコ画で飾られていた 赤の顔料は辰砂しんしゃ(日本では丹砂)、地中海地域では各地でよくとれ 駅舎や商店にも彩色され、街全体のイメージカラーにもなっている 19世紀から始まった発掘の初期段階では宝探しのようにモザイク画や青銅製遺物がスコップ1本で容易に盗掘されていたようです。 79年の噴火で消滅した推定人口3万人の町の少なくとも五分の三が姿を現しています。 それではタイムトラベルに出発! 地図:イタリア旅行協会公式ガイド