301年 キリスト教徒大迫害によってアドリア海のかなたから逃げてきたマリーノは人里離れたこの山中に隠れ住みました。やがて信仰の指導者として聖マリーノと呼ばれるようになりました。9世紀頃、中世前期、都市国家コムーネが各地に成立し、多くのコムーネが統合されたりヴェネツィアやフィレンツェのように強大な都市国家になったりしました。この地が主要街道から離れた山中にあったことが幸いして小さいながら独立を保つことができたのです。

生産力が乏しく侵略者には魅力がなかったのかもしれません。岩山の上の城塞都市。イタリア政府と協定、通貨や電力供給はおんぶしている。コインが発行され、3つの塔がならぶ国章が入っています。独立国の特権として切手も発行、おみやげの代表になっています。人口2万5千のうち5千人は首都に住み後は周辺で、ブドウ畑、白ワインなどの農業に従事していますが、労働力を吸収できず若年失業者が多くなっています。 

見どころ→旧市街 3つの城塞 聖マリーノの遺骸が安置されているバジリカ 崖の上の300メートル間隔で並ぶ城塞 第一城塞ロッカ・グアイタ 第二ロッカ・デッラ・フラッタ 第三ロッカ・モンターレ 眺望絶景

鳥のように高い岩山の上にとまっているのでペンネ(鳥の羽)の異名が塔についています。