この町は1860年5月11日、ガリバルディ率いる「千人隊」が上陸したことで知られる。アラビア語で「神の港」を意味するマルサラから上陸した義勇軍は奇跡的な勝利を続け2万の両シチリア王国軍を追放した。町の歴史は古く、フェニキアによって築かれた。商業航路の要衝にあるためローマとの係争地となった。考古学博物館では1971年、沖合で出土したフェニキアのリブルナ船(櫂が上下に配置)の残骸が見られる 前3世紀第一次ポエニ戦争当時の2段櫂船と考えられている。
マルサラはワインも有名 18世紀末 イギリス商人によってスペインシェリー酒にならったアルコールを添加した酒精強化ワインが造られ特産物となった アルコール度数が高く18%前後 熟成年数による呼び名の違い 1年フィーネ 2年スペリオーレ 4年スペリオーレ・リゼルヴァ 5年ヴェルジネ 10年ヴェルジネ・ストラヴェッキオ 味わいによる呼び名の違い 辛口セッコ 半辛口セミ・セッコ 甘口ドルチェ写真のマルサラワインはステイホーム中に来客があった時、オーナーから出されたものフィーネ セミ・セッコ
マルサ-ラを訪ねたら是非訪れたいところ マルサ-ラからバスと船を利用、距離が近く連携されているので時間はそれほどかかりません
マルサ-ラの北にあたる潟スタニョーネの中に浮かぶ小さな緑の島 牧歌的な塩田風景(塩づくりは4-9月の熱く乾いた季節)や赤い屋根の風車小屋は従来のイタリアのイメージにはない驚きのパノラマが広がります 航海にたけたフェニキア人は東地中海から前8世紀末ここに到着、入植地とした ヘロドトス「見知らぬ土地を探検するには、沿岸の住民相手に交易するにも自衛するにも好都合な陸に近い島に住むのが習わし」 強大なカルタゴの勢力下にはいるのは当然の成り行き 1周約3㎞ ほとんど遺跡ばかり 地中海性のくさばなが咲く中、小さなホイタッカー博物館があります 19世紀、島の所有者だったジョゼフ・ホイタッカー氏が発掘を手掛けた トロヤ文明発見者シュリーマンを招いたこともあるとか、博物館内、芸術的に最も価値が高いのはフェニキアではなくギリシアの作品 細かいひだのある長いチュニカをまとった白い大理石像「モツィアの青年」 前5世紀のギリシア彫刻 作者不詳 戦利品か略奪品かギリシア人彫刻家への注文品か未だに未確定 古代地中海の謎はつきません