トスカーナ州州都。 14世紀のある年代記作家はフィレンツェのことを「空気は爽やか、風俗良好、女性は美しく、着飾りもよく家屋はことに美しく」と書いています。アルプスとナポリからほぼ等距離。アルノ川両岸にまたがっていて、右岸のほうが発達が早く、人家が丘のふもとまで広がり、左岸には丘陵地帯がすぐ近くまで迫っています。ローマを除けば「絵画と彫刻を最も豊かに所有する都」、と言われ、この町が輩出したダンテ、ジョット、ミケランジェロという偉大な芸術家のことやイタリア語の成立に対する貢献度を思えば、国民全体がそのアイデンティを得るのにこの都市に負う事が大きいこと、誰もが認めるところです。
フランスの文豪スタンダールは「季節ごとに色を変えるアルノ川のたたずまい。どの路地からも見える”花の聖母”大聖堂のブルネレスキの生気に満ちた線の美しさ故にこの町に逗留することでどれほど精妙な楽しみを味わうことができることか。」と書いています。
私マルコは今はなき,サベナ・ベルギー航空(2001年倒産)で訪れました、フィレンツェ空港からフィレンツェ中央駅サンタ・マリア・ノヴェッラ駅まで30分もかからず、到着。もっとゆっくり、車窓からの眺めを楽しみたかった・・記憶が蘇ります。
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ”花の聖母”大聖堂、ドゥオーモ広場、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼、メディチ家礼拝堂」以上の場所は誰しも認めるフィレンツェの核です。他に訪れてよかった所、お勧めしたいところを地区ごとに列挙します。回り方など少しは参考になるかもしれません。写真等は省略。おそらく大方のガイドブックと重なります。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母マリア)大聖堂(1296起工1436完成)120mの天空にそびえるクーポラのスケールの大きさに圧倒される。まわりの丘から眺めればフィレンツェのシンボルとしての存在感を示し、ルネサンス的都市風景を見せてくれていることがわかる。カルツァイウォーリ通りからウフィツィを経由して南に行けばアルノ川、右手に2階建ての橋が見えてくる。ポンテ・ヴェッキオ「古い橋」は名前の意味とおり、アルノ川に架かる橋の中では最も古く、洪水で流されたあと、1345年に再建された。有名なフィレンツェの伝統工芸、金銀細工の店が連なる。川沿いの道を少し下って、離れた所から橋を眺めるとウフィツィの建物からL字型に連結されている。ヴェッキオ宮(1565 コジモ1世建設)からピッティ宮(パラティーナ美術館)までを結ぶ空中通廊で、設計はウフィツィと同じく、ジョルジョ・ヴァザーリ。ピッティ宮の裏手にあるボーボリ庭園の斜面を登ってベルヴェデーレの城砦まで行けば、14世紀、都市国家フィレンツェを一枚の絵のように眺めることができます。
最後の仕上げとして大聖堂のクーポラの頂上にランタンが据え付けられたのは1468年、フィレンツェ:ヴェロッキオの工房で修行中だった若きレオナルド・ダ・ヴィンチが据え付け工法にヒントを提供した可能性が大きい。 ドラマ[レオナルド~知られざる天才の肖像~2021]より
ウフィッツィ美術館: シニョーリア広場からアルノ川まで延びる長細いウフィッツィ広場を取り巻く建物。メディチ家の支配するトスカーナ公国の行政管理事務所として、1560-80年にかけてヴァザーリが完成した(ウフィッツィ館)。16世紀の終わり、メディチ家の全面的バックアップにより、美術館に変身。イタリアの美術館で最も重要、近代ヨーロッパで最も歴史を誇るこの美術館にはあらゆる時代のイタリア絵画、ヨーロッパ絵画の各派を代表する作品が所蔵されている。