ロンバルディア(ミラノ) カンパニア(ナポリ)に次いで三番目に人口の多い州です。前5世紀のころ、当時の地名ラティウムがラツィオの由来です。この地に定住した人々をラテン人と言います。

彼らはサビニ人、エトルリア人などの集団を制して都市国家ローマを建設しました。その後の長いローマ帝国の時代、政治の中心として栄えましたが、帝国の滅亡後はカトリック教会の教皇庁は、イタリアに教皇領(教皇国家)を保ち、ラツィオ州の歴史を左右、この状況は、1870年、イタリア王国がローマを占領するまで続きました。

1929年、ローマ市の中にバチカン市国が成立して現在に至っています。ラツィオ州域では、第二次世界大戦中、軍民双方で多数の犠牲が出ました。戦争中の州域での特に大きな出来事として、モンテ・カッシーノの戦いや、連合軍の上陸(アンツィオの戦い)があります。州南部では、10年の歳月をかけてポンティーネ湿原の干拓と新しい都市の建設が行われ、現在のラティーナ県が創設されました。


ローマ探訪十日間


ローマは古(いにしえ)の旅人たちの最大・最終の目的地。仏作家スタンダールはローマ滞在によって精神的に大きな影響を受け(『ローマ散歩』1829)、墺心理学者フロイトはローマへの思い入れが強すぎ、幾度かのイタリア旅行を経てから念願のローマに入りました。 

私たちはもっと気楽に、徒歩中心、少しだけ地下鉄・バスの恩恵に預かりながら、2500年の歴史に彩られたローマを歩き回りましょう。



『永遠の都』ローマの歴史と発展をおさらいしよう!

  • 紀元前8世紀・・ローマの歴史はパラティーノの丘から始まっりました。この地域に存在していたラテン人のいくつかの集落がこの丘の上で統合されて都市国家ローマが誕生したのです。建国神話”ロムルスとレムス”が伝わっています。最初はイタリア半島の先住民エトルリア人に支配されていました。
  • 紀元前509年~前31年・・・エトルリア人の王を追放して5世紀にわたって共和政の時代が続きました。アフリカ北岸のカルタゴとの戦いに勝利し、”地中海の女王”と言われるようになって、紀元前1世紀には40万の人口を抱えるまでに発展しました。公共事業も活発で、フォロ・ロマーノ(公共広場)、古文書館タブラリウム、マルケス劇場がその証しです。
  • 紀元前27年~4世紀・・帝政時代、皇帝のフォーラム、宮殿、凱旋門、闘技場、浴場などの大規模建造物が多く作られ、3世紀には都市防備のため新しい城壁が築かれました。
  • 5世紀~14世紀・・この一千年間、ローマは衰退の一途をたどります。人口が2万をきるほど過疎が進んだ時期もありました。主な原因として、首都がコンスタンティノープルへ移転したこと、ゲルマン民族の度重なる侵入、ローマの貴族間の抗争、フランスとドイツのイタリア支配をめぐる戦争、ローマ教皇が南フランス:アヴィニヨンに移る、ペストの流行、地震などがあげられます。この時代、古い建造物が廃墟化するなか、教会が誕生し、教会の建設には古い建造物に用いられていた建築の資材が再利用されました。
  • 15世紀~17世紀・・ルネサンス時代の始まりとともに教皇シクストゥス4世が都市計画を実施、16世紀にはいると教皇ユリウス2世は建築家ブラマンテの力を使ってサン・ピエトロ大聖堂の建立に着手、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂、ラッファエッロに新教皇庁のフレスコ画を委嘱しました。世紀の後半には教皇シクストゥス5世が今日みられるローマの姿を造りました。サンタ・マリア・マッジョーレ教会など主な教会へ続く通りを放射線状に敷く整備計画に基づいて、主要直線道や数々のオベリスクを建てました。17世紀、教皇アレクサンデル6世は彫刻家・建築家ベルニーニを用いてサン・ピエトロ広場の柱廊やナヴォナ広場の噴水にバロックの趣を与えます。トレヴィの泉、スペイン階段も加わったことでローマの景観は最高のものとなったのです。
  • 18世紀~20世紀・・ローマ教皇領の拠点、カトリックの聖地として発展してきたローマもリソルジメント(イタリア統一運動)を経て、政治の要へと変身、1871年、イタリア王国の首都となった。20世紀前半、ファシズム政権下、多くの公共工事が実施された。ムッソリーニは古代ローマ帝国を意識してヴェネツィア広場とコロッセオを直線的に結ぶ「帝国の道」インペーロ通りを建設しました。

"永遠の都ローマ"が所蔵している数えきれない遺跡・芸術作品のジャンル分けをします。


一日目 2000年以上の歴史の痕跡を保存しているローマ、その魅力を堪能するには徒歩で巡るのが一番、地下鉄の2路線を使えばさらに行動

               範囲は広がります。10日間の滞在日程でA~Fを楽しもう!ヴェネツィア広場~カンピドリオ~フォーリ・インペリアーリ通り~コロッセオ  A~Fまで、

              すべて見られるコースです、コロッセオから約8キロ南に進むとエウル、余力があれば足をのばしたいところ・・・


二日目  フォロ・ロマーノとパラティーノの丘(考古学地域) 永遠の都ローマ誕生の地、当時のままの景観を色濃く残していて、ABが堪能できるコースです。

    古代ローマ史ファンはここだけで2~3日は過ごしたくなります。


三日目 コルソ通り~コンドッティ通り~スペイン広場 まさに大都会ローマの目抜き通り、多彩な観光スポットを巡り、CDEを存分に楽しみましょう。


四日目 バルベリーニ広場~ピンチョの丘~ポポロ広場  トレヴィの泉の北をはしるトリトーネ通りが、バルベリーニ広場へと繋がっている。このコース沿いの

    景観はローマを広く見晴らせるポイントに恵まれています。1000年以上にわたって北の入口であり続けたポポロ門(ローマ時代のフラミニア門)で

    歴史を堪能しましょう。ABCDEの数々を楽しむことが出来ます。サンタ・マリア・デル・ポポロ教会はまるで美術館のようです。