ヴィチェンツァ(35㌔北) からはすぐ、トレントからは鉄道2時間で到着します。絵葉書のように立ちすくしてしまう風景がいっぱいの街、一番はやっぱり街のシンボル、ブレンタ川にかかる木造の特徴ある橋(洪水と戦争で8回も破壊されては再建された)です。フィレンツェの屋根付き橋ポンテ・ヴェッキオと同じ名前の美しい木橋、ドロミテが水源のアドリア海にそそぐブレンタ川にかかっています。両側の渡口には大理石のアーチがあります。左にアジアゴ山 右にグラッパ山が控えていて地名の由来にもなっています(山のふもと:バッサーノ)。橋は1569年にパッラーディオが設計しましたが、その後、何度も再建され最近は1948年再建です。この橋の歴史はこの町の歴史そのもの。川の急勾配の両岸から古典的な景観を見ることができます。中世の歴史、1402年ヴェネツィアの支配、16世紀後期ルネサンスの息吹、が積み重なって品格のある雰囲気が漂っています。ヴェネト的な山岳地帯の清涼な空気も感じることができます。

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ブレンタ川にかかる橋:ポンテ・ヴェッキオとグラッパ山



グラッパ山の山の低地、ブレンタ川をめぐって幾度も悲劇的シーンが繰り広げられた。第一次世界大戦では対オーストリア戦線の防衛拠点が置かれ、第二次大戦では戦争末期、イタリア・バドリオ政権・無条件降伏(1943年9月)後における北イタリア残留のドイツ軍・イタリア人ファシスト軍とパルティザンとの戦いは熾烈なものだった。丘陵地帯 パルティザン部隊が集結。~岡田全引著『イタリア・パルティザン群像』→1944.9.20 2万人のドイツ軍・ファシスト黒シャツ隊がパルティザン1500人を包囲殲滅した。200人戦死200人銃殺137人絞首刑500人ドイツに流刑 30人公開絞首刑「臨終の並木」電柱に吊るされた。ドイツ軍が絶えず活用していたポンテ・ヴェッキオは1945年2月下旬、パルティザンによって爆破された。  

  

多大な犠牲を払ったこの町に戦功労賞金メダルが授与されている。橋が醸し出す静けさと穏やかさとをたたえた風景から、この過去を伺うことはできません。 


グラッパ:ブドウの搾りカスを発酵・蒸留させてつくるアルコール度の高いお酒 

ホワイトアスパラガス:唯一DOPに指定にされています 希少価値高く 2月のアスパラガス祭りはグルメが集結

グラッパ焼き:通常より低温で焼き上げ 色彩の鮮やかさが抜群 ブレンタ川流域の良質の粘土だからできる、中世から続く伝統です