ナポレオンが去った後、オーストリア領南ティロルだった時代(1814~1918)、国際的保養地として建設されていましたが、イタリア領になっても継承されました。ボルツァーノから列車で40分ほどで到着、マルコが訪れたのは2月の極寒の日、それでも何かメルヘン・非イタリア的なものを感じました。オーストリア国境まで数キロ、話者人口はドイツ語とイタリア語が半々です。
エリザベート1837-98 オーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ1世の皇后となったいきさつからバイエルン国王ルートヴィヒ2世との交流、皇后の立場でありながら君主制に懐疑的、宮廷生活を好まず旅に出ることが多く特にハンガリーに執着、息子ルドルフの心中事件、自らの暗殺事件、など彼女の生涯のひとコマが映画、演劇、小説のテーマとなって描かれています。1897年、当時ハンガリー領だったメラーノに保養に訪れて以来、温泉保養地として知られるようになりました。イタリア国内にオーストリア皇后の像があること自体に驚きながらも、夫である「悲劇の皇帝」フランツ=ヨーゼフ1世(皇后エリザベートと皇太子フェルディナントは暗殺、弟マクシミリアンは処刑、最初の皇太子ルドルフは心中)のことまで思いをはせてしまいます。因みに映画で2度もエリザベートを演じた女優はロミー=シュナイダーでした。「プリンセス:シシー」「ルートヴィヒ 神々の黄昏」。フランス映画女優のイメージのロミーは生まれはオーストリア、この役にはまっていましたね。旅行中に出会った、ただ1つの人物像でも手繰っていくと興味が尽きない世界の広がりを感じます。