フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア特別自治州州都 ヴェネツィア・メストレ駅から鉄道の旅2時間、車窓からの眺めは次第にイタリアからオーストリア風に移っていきます。14世紀後半ハプスブルク家の領土となり、18世紀オーストリア・ハンガリー帝国の軍港・自由港として発展しました。 女帝マリア・テレジアの父カール6世が創設したテレジア地区の優美なたたずまいは帝国の港湾交易地として栄えたことを物語っています。19世紀、「未回収のイタリア」としてオーストリア-イタリア間の係争地であり続け、イタリア領になったのは第一次世界大戦後1918年のこと。

第二次大戦では1943年9月8日ドイツ領(アドリア海沿岸管区)となって絶滅収容所が置かれました。トリエステはドイツにとって重要な拠点だったため、反ナチス、パルティザンの動きを徹底的に弾圧しました。ナチスの秘密警察やトリエステの特務機関によって収容所で焼却されたり、ドイツの収容所に流刑になったユダヤ人やパルティザンの数は数千人規模だったと考えられます。次回、訪れる機会があれば、リジエーラ市民博物館(収容所跡に建設された)を訪れ、花束を捧げる人たちに加わりたいと思います。1990年代、ユーゴの内戦時には中心街から数㌔に迫る国境からの痛ましいニュース絶えませんでした。イタリアにある国境の街の中でトリエステほど歴史に翻弄されたところはありません。