監督ミケランジェロ・アントニオーニ 音楽ジョヴァンニ・フスコ 北イタリア、ポー川流域のある工場で働く労働者アルド(スティーヴ・コクラン)はイルマ(彼女は既婚だが夫は行方不明)と同棲し、ひとり娘もいる。彼女への愛は深く結婚を望んでいるが、ある日、愛はなくなったと告げられアルドは娘を連れてさすらいの旅に出る新生活を築こうと努力するが、常に孤独感にさいなまれ、イルマの姿を見に帰った時、彼女はほかの男性と幸せな家庭を持っていた、アルドは深い絶望の中で荒涼たる風景にたたずむ塔にのぼっていく。スティーヴ・コクランの孤独で絶望に打ちひしがれた演技は忘れることができない。フスコの音楽・アルドの心情・荒涼たる風景は三位一体です。T
監督 パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ 8月10日 サン・ロレンツォの夜 チェチリアは星に願い事をする そして6歳だった夏の思い出を語り始める。トスカーナ地方の小さな村 戦争末期のドイツ軍とパルチザンの間で揺れ動く村人、同じ村人、親戚同士ががファシストとパルチザンに分かれて殺しあう、少女の視線で記憶をたどるかたちで寓話的に描かれる部分が惨劇にオブラートをかけている トスカーナののどかな風景の中で進行する戦争はそれだけで平和の日々との対比が鮮やかに描かれた ラストのサン・ロレンツォの夜に戻る寓話的な締めくくりが印象的 カンヌ映画祭審査員特別グランプリ受賞 D
監督エリオ・ペトリ 音楽エンニオ・モリコーネ 出演ジャン・マリア・ヴォロンテ
ローマ市警の警部(ヴォロンテ)が愛人を殺し、現場にわざと証拠を残して通報し、自分が起こした殺人事件の捜査を自ら指揮する。彼につながる証拠ばかり出てくるが誰一人彼を疑う者はいない。彼自身の自白があっても警視総監ら幹部は罪を認めず殺人の事実をもみ消す。この理不尽で腐敗した権力機構をえげつなく、モリコーネの秀逸な音楽が搔き立てる。警部は「弾圧こそがテロを治療する」と左翼活動家を容赦なく取り締まる人物で公開当時、実在した警部に酷似していたとか・・・ペトリ監督は共産党系新聞の映画欄を担当したあと映画界に入った。権力の矛盾や問題に切り込んだ。警部役のヴォロンテは彼自身、戦闘的な左翼人として共産党や民主党左派の活動に積極的に参加した。アカデミー外国映画賞 カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞 C
監督フェデリコ・フェリーニ 出演 マーティン・ポッター アラン・キュニー 原作は古代ローマ帝国5代皇帝暴君ネロに仕えた政治家であり遊び相手でもあった快楽主義者ペトロニウス。ネロが行ったとされる残虐な破廉恥行為の数々を思えばこの映画に描かれる面白いほどグロテスクな退廃の極地~厚化粧 売春宿 戯画的なメーク 破廉恥な宴会 性的倒錯 大食い おぞましい醜悪な顔顔、不自然なセリフ~はまだ耐えられるものかもしれません。背景の美術はとても凝っていて、この映画はフェリーニ監督の美術作品とも言えます。共同浴場・芝居小屋などを舞台に二人の若者が腐敗堕落したローマを巡っていく。目もくらむ極彩色の映像をえんえんと見せる。ローマの貴族は出来るだけたくさん食べるために横になって食事をする、満腹になると吐き、また食べる、映像から目を離すことができないうちに上映時間は終わる。この映画はストーリーを追ってはいけない、フェリーニは映像で観客を虜にしたかったのでしょう。原作者ペトロニウスはネロに敵視され、静脈を切って自殺しました。tv放映には不向きです。D
監督ロベルト・ロッセリーニ 音楽レンツォ・ロッセリーニ 出演ジェンナロ・ピサノ マリリン・ビュフェル
イタリア南部の小さな漁村に暮らす気のいい写真屋チェレスティーノはある夜店を訪ねてきた聖アンドレアと名乗る謎の老人から、撮影するだけで悪人を殺すことのできるカメラを授かる。この力を使い彼はまず村を牛耳る警察署長、次に高利貸しの老婆マリアを死地に追い込むが、マリアの遺産のをめぐって
欲に溺れた村人たちが騒動は拡大していき、さらには村に持ち上がったアメリカ人によるホテル建設計画も加え事態は一向に改善しない。そんな中、彼に力を与えた例の老人が現われ、実は自分は悪魔なのだと告白する。チェレスティーノは彼に十字の切り方を教え、悪魔も改心するのだった。ロッセリーニの従来の作品からは大きく異なるドタバタ喜劇だが、階段を汗まみれで動き回る人々を追いながら人間の本質を描き出した。D
監督セルジオ・ルビーニ 出演セルジオ・ルビーニ マルゲリータ・ブイ イタリアで3年間のロングランを続けた舞台劇を、同じ俳優で映画化。閉鎖された駅の中で繰り広げられるサスペンス。南イタリアの小さな駅サン・マルコ。夜勤の駅長をしている、まじめな青年ドメニコは退屈な勤務の中で、コーヒーの滴がフィルターを通って落ちる時間=2分57秒、駅長室の壊れた巨大な戸棚の引き戸が自然に落ちる時間=1時間30分ごと、という正確なデータをとったり、ドイツ語の勉強をしたりして過ごしている。激しい雨の降るある夜、美しい娘フラヴィアが飛びこんでくる。やがてフラヴィアを追って、彼女の婚約者ダニーロがやってきた。ダニーロは自分の事業のために実力者の娘であるフラヴィアが必要で、無理やり連れ戻そうとする。機転をきかしドメニコはダニーロを外に追い出し鍵をかけ鎧戸を降ろす。絶体絶命かと思ったそのとき、ダニーロの頭の上を戸棚の重い引き戸が直撃した。ドメニコが精密な記憶力を発揮し、引き戸がおちてくる時間ピッタリにダニーロをその下に立たせたのだ。気を失ったダニーロをロープでぐるぐる巻きにした。やがてローマ行きの列車が到着、2人は、抱き合いキスをかわした後、また別々のもとの生活に戻っていく。さわやかなラストシーンが素晴らしい。C
監督ロレンツォ・マトッティ 仏伊合作 『タタール人の砂漠』『モレル谷の奇蹟』などで知られる、イタリア現代・児童文学者ディーノ・ブッツァーティの原作(1945)をアニメーション化 町々を回って紙芝居のように物語を聞かせる芸人たちが、物語を語って聞かせるような展開がメルヘン的で素晴らしい。クマのキャラクターデザインは原作者が描いた本の挿し絵をモデルにしていて、日米のアニメにはない絵本の趣を感じさせる。
遥か昔、クマたちは氷で閉ざされた高い山で静かに暮らしていたが、ある日、魚とりに熱中していたクマの王レオンスの息子トニオが人間に捕えられてしまう。レオンス王はクマたちを引き連れて山を降り、残忍な大公、魔法使い、大軍隊などとの戦いの末、息子を奪還、さらに人々を圧政から解放する。シチリアは、クマが支配する国、クマと人間が共存する太平の世を迎えた。しかし、クマもまた権力を得ると、腐敗し、欲望にまみれていく、善良だったクマでさえも。世界の歴史、権力の行方、そして少女アルメリアを通して若い世代の希望を寓話的に描いている。 T
監督ジュゼッペ・フィオレッロ 出演ガブリエーレ・ピッツーロ サムエーレ・セグレート ファブリツィア・サッキ
1980年、シチリア島に住む、2人の少年に起こった悲劇(果樹園の木の下で2人の若者の遺体が発見された。銃で撃たれた2人は手をつないだ状態で横たわっていたというイタリア中を震撼させ。ジャッレ事件)をモチーフに、社会の偏見や不寛容さにぶつかりながらも、ただ純粋に愛を貫いた2人の少年の姿が、きらめくような映像美で描かれる。ナストロ・ダルジェント賞(イタリア最古の映画賞)で新人監督賞を受賞 真相はいまだに謎のままだが、この事件をきっかけに多くの若者が街頭でデモ活動を行い、その流れで“ARCIGAY(アルチゲイ)”という非営利団体がパレルモで設立された。2016年には同性カップルに、結婚に準じた法的権利を認めるシビル・ユニオン法が制定された。
花火師の父と優しい母親のもと愛情いっぱいに育てられた16歳のニーノ(ガブリエーレ・ピッツーロ)は、バイク走行中に衝突事故を起こしてしまう。事故の相手は17歳の少年ジャンニ(サムエーレ・セグレート)だった。2人の出会いはそこからはじまった。以前から同性愛者であることを知られていたジャンニは好奇の目にさらされ、近所の住人たちからは連日のように心ない言葉を浴びせられていたが、ニーノとの出会いをきっかけに友情が芽生え、やがて愛情へ変化していく・・
監督ヴィットリオ・デ・シーカ 脚本チェーザレ・ザヴァッティーニ 出演 市民たち プロの俳優は泥棒役の1人だけ 敗戦直後のイタリア 貧困と失業を描く ネオ・レアリズモの代表作 アカデミー賞外国語映画賞 失業中の男アントニオは"ポスター張り"の仕事を得たのも束の間、必需品の自転車を盗まれてしまう。戦後の混乱期、警察も取り合ってくれない、息子のブルーノと一緒に雨のローマを歩き回る、親子の情が絶望感をやわらげる。戦後のローマの街の雰囲気、庶民の生活風景など、まさにドキュメンタリータッチの劇映画、永遠に残る名作の1本であることを誰もが納得するでしょう。デ・シーカ監督は1度採用した素人俳優は2度目は使わない鉄則があったようで名演の親子素人俳優はこの作品だけで、世界中の映画ファンの記憶に刻まれることになりました。脚本ザヴァッティーニは「靴みがき」「終着駅」「ウンベルトD」など、デ・シーカとのコンビで名作を一杯残しました。D
イタリア・西ドイツ合作 監督ルキノ・ヴィスコンティ 出演 ダーク・ボガード ヘルムート・バーガー 第一次世界大戦後のドイツ、史上最も民主的と言われたワイマール憲法下に生まれたドイツ(ワイマール)共和国がナチス・ドイツの台頭によって崩壊していく。ある鉄鋼財閥(クルップ一族を想定)の一族がナチスに翻弄されながら没落していく過程が共和国の崩壊と重なる。財閥当主の孫役のヘルムート・バーガーは凛々しくも病的な親衛隊員を見事に演じている。1933年2月国会議事堂炎上事件、1934年6月親衛隊による突撃隊の粛清事件が重厚に描かれる。財閥の権力闘争の頂点に立つ重役を名優ダーク・ボガードが演じる。公開時、ドイツが舞台なのに英語の台詞は不自然、などの声がありましたがヨーロッパ人なら気になったところだったかも知れません。「恐ろしい時代のことを知らない若い人のために、この映画はもっと早く作られるべきだった。」…ルキノ・ヴィスコンティ C
監督:ロネ・シェルフィグキャスト:アンダース・W・ベアテルセン、
北欧デンマークにもイタリア語教室があることが意外でした、でもアジアの日本にあることの方が驚くべきことかも知れません。舞台はコペンハーゲン、冬、様々な悩みを抱える男女6名が、イタリア語の講座を通して出会い、各自の抱える問題を共有しながら愛に目覚め、幸せになっていく。特に母親の介護で悩む、美容師カーレン、素行が悪く、解雇されたハルフィンや性的な悩みを抱えるヨーゲンなどイタリア語講座には個性的なメンバーがいっぱい。一見、収拾がつかないように見えますが、みんなで行ったベネツィアへの小旅行からラストにかけて愛情を持ってまとめられていて、観客はおだやかな感動に包まれる。C
監督ジュゼッペ・トルナトーレ 音楽エンニオ・モリコーネ 出演フランチェスコ・シャンテ マルガレッロ・マデ ルイジ・ロ・カーショ
太陽が眩しく輝き、風が荒々しく通りを吹き抜けていく、ここはシチリアの町バーリア。この町に暮らす牛飼いのトッヌオヴァ家は貧しかったが、家族みんなで力を合わせて、毎日を力強く生きていた。まだ幼い次男のペッピーノも、他の兄弟と同じように、大人たちに連れられて、農場や牧場で働いている。ペッピーノは仕事の合間にその地方に伝わる伝説を聞き、たちまち胸を躍らせる。また、時たま父親に連れて行かれる映画館で、無声映画を見ることは、彼にとってかけがえのない時間だった。第2次大戦を生き抜いた彼は、やがて美しい女性マンニーナと恋に落ちる。ペッピーノは、世の中を良くしたいという理想に燃え、共産党員となっていく。シチリアの現代史と映画への想いが詰まった作品。T
監督ジャンルカ・マリア・タヴァレッリ 出演クラウディオ・サンタマリア パオラ・コレテッレージ
ロレンツォ・バルドゥッチ エンニオ・ファンタスティキーニ 大河ドラマの傑作『輝ける青春』とならぶ上映時間6時間半の映画である。ブルジョワ家庭の
波乱に富んだ物語は長時間でも観客を飽きさせることはない。ローマに暮らすジョルダーニ家が幸せな日々を送るなか、三男で高校生ロレンツォが運転を誤り事故死。この事故を境に家族それぞれが抱える問題が露呈していく。愛人を持つ技術者の父ピエトロの、心のバランスを崩した母アニタ、外務省勤務の長男アンドレア、建築を学ぶ次男ニーノ、出産を控えた心理学者の長女ノラ、彼らの織りなすドラマに不法移民の女性シャーバが加わる。現代のイタリア政府が抱える難民受け入れ問題を描くことでローマに住む一家族の物語を国境を越えたテーマに連動させ、人間同士のつながりの前には民族の壁は薄く崩れていくものだ・・・C
監督フェデリコ・フェリーニ 出演アルベルト・ソルディ ブルネッラ・ボーボ レオポルド・トリエステ ジュリエッタ・マシーナ 新婚夫婦がローマにやって来る、親戚には暖かく迎えられるけれど、初めて見る大都会に圧倒されっぱなしの二人。妻のワンダには1つ目的があった。フォト・ロマンツォのヒーロー「白い酋長」の俳優リヴォリに会う事。(フォト・ロマンツォとは50~60年代、イタリアで流行ったスターの写真にセリフをつけて物語を展開させる、写真連載漫画のこと。)このヒーローに会おうとワンダは一人ホテルを出発、憧れの白い酋長(アルベルト・ソルディのコメディセンスには誰もかなわない)と出会ったのだが、俳優リヴォリは理想とはかけ離れていた。夫のイヴァンは妻を探して歩き回る、夫妻の出会う人々はみな善良でやさしい。ユーモアとやさしさにあふれたフェリーニ監督第1作目でした。D
監督ヴィットリオ・デ・シーカ 脚本チェザーレ・ザヴァッティーニ 出演ジェニファー・ジョーンズ モンゴメリー・クリフト 戦後、新しく蘇ったローマ・テルミニ駅が舞台で、劇の進行と映写時間が一致している。脚本ザヴァッティーニと監督デ・シーカのコンビは名作揃いですが、鉄道駅という限られた空間で恋愛物語をドラマチックに描くこの作品は特に2人の才気がほとばしっています。この映画のタイトル「終着駅」が「終点」に代わって好んで使われるようになったのはロマンチックな哀愁を感じさせるからでしょうか。『ジェニーの肖像』で少女役を演じたジェニファー・ジョーンズが米国女性を、西部劇『赤い河』でデビューしたモンゴメリー・クリフトがイタリア人青年を見事に演じました。この2人のハリウッド俳優にとっても夫々の代表作と言える作品になったでしょう。テルミニ駅のカーブがかったやさしい屋根の形はその下で展開するドラマの舞台装置として効果を発揮しました。T
監督フランチェスコ・ロージ 音楽ピエロ・ピッチオーニ
シチリア島のある家の庭でサルヴァトーレ・ジュリアーノ(この名が原題)なる30歳の若者の遺体が発見された。この実話をテーマに彼が何者によって、なぜ殺されたかを追跡する。彼がマフィアの一員だったこと、警察や憲兵との関係も徐々に明らかになるが真相はつかめない。生き証人は証言を前にして毒殺され、もう1人の容疑者も群衆の中で射殺されてしまう。 政財界、警察、マフィアの関係を解明できないまま映画は終わり、イタリアの黒い霧を不気味に暗示した。リアルな演出の迫力は観客に得体のしれない恐怖を呼び起こす。ベルリン映画祭監督賞・音楽賞受賞 T
監督ダミアノ・ダミアニ 音楽エンニオ・モリコーネ 出演アレッシオ・オラーノ オルネッラ・ムーティ
マフィアのボスの甥で羽振りをきかせる若者ビートは、貧しい15歳の少女フランチェスカを見染て、婚約者がいることを知りながら、強引に結婚を申し込んだ。フランチェスカはビートのプロポーズを素直に承知したが、一方的な彼の態度に反発を覚えるた。力づくで犯されてしまうと心の底で愛し合ってはいたが、お互いの意地の張り合いで、フランチェスカは逆に憎しみさえも抱くようになっていった。結婚式をあげようとしたビートの威張りくさった態度に怒ったフランチェスカは警察へ出頭し、誘拐と暴行の罪で告訴した。ついにビートが逮捕され、有罪が決定したとき、フランチェスカの顔には狼狽と悲しみが浮んだ。新星オルネッラ・ムーティの魅力爆発でした。T
監督ジュリアーノ・モンタルド 音楽エンニオ・モリコーネ 出演 ジャン・マリア・ヴォロンテ リカルド・クッチョーラ
1920年代アメリカ、マッカーシー旋風が吹き荒れる”赤狩り”のさ中、アメリカ史の汚点となる事件が起こった。高校の世界史に出て来るサッコ・ヴァンゼッティ事件だ。1920年5月5日、靴屋サッコと魚行商人ヴァンゼッティは強盗殺人犯として逮捕された。彼らはまだ英語も不自由なイタリア移民で、アナーキストだった。集会のためのビラを取りに行く途中だった。彼らには全く身に覚えのないことで、真犯人が見つかっていたが証拠は消された、
2人を救うための救援活動も活発に行われたがすべて検事側によって却下、拒否、ついに2人は1927年8月22日電気椅子で処刑された。この背景には思想弾圧と人種差別が根底にあり、権力のでっちあげによって命を奪われていく。ジュリアーノ・モンタルド監督の
最高傑作になるに違いない。観客は第2、第3のサッコ・ヴァンゼッティ事件が世界のどこかで起きていることを思い、胸が痛む。監督の言「私の思想の実証のために映画を作る。ただしそれをインテリのの世界の人間のためにやったのでは無力です、優れて娯楽的なスペクタクル映画でもあるように、堂々とやらなければ、つまり大衆のために作品を作るのです。実は、大衆は思想性のある映画が大変好きなのです。」この映画に深く感動したジョーン・バエズが主題歌を切々と歌い上げている。T
監督カルロ・ルドヴィコ・バラガリア 出演アルベルト・ラバグリアティ マリア・メルカデル アンニャ・マニャーニ
賭けトランプで借金生活に入った元伯爵マッテオと年金生活者アルベルトがひょんな事から生活をともにするようになる。遊び人だが気の良い青年マッテオと楽天家アルベルトのコンビが醸し出すユーモアが心地よい。トラックの荷台に寝ていた2人は郊外に運ばれ、歌いながら気ままな旅を続ける。空腹を満たそうと偶然訪れたしゃれた佇まいの館には年頃の姉妹が住んでいた。マッテオが気丈で事実上の農園経営者の妹(マリア・メルカデル)に彼女への想いを歌い、夢想家の姉(アンナ・マニャーニ)が
自分に片想いを寄せる男と二重唱を披露する。このミュージカル風コメディ映画がファシズム体制の下で創られたこと自体、驚きであり、女性のパワーが物語を牽引する ネオレアリズモの先駆的作品
監督マイケル・ドウェック グレゴリー・カーショウ
ピエモンテの森で白トリュフを採取する老人たちを捉えたドキュメンタリー。世界で最も希少で高価な食材とされるアルバ産白トリュフ。その名産地である北イタリアのピエモンテ州では、夜になると森に白トリュフを探しにやって来る、まるで妖精のような老人たちがいる。老人たちは訓練された犬たちと共に、まるで宝探しを愉しむように、何世代も伝わる伝統的な方法で〈白トリュフ〉を探し出す。犬たちは彼らにとって一番の友人・家族・恋人なのだ、寝起きを共にし、同じものを食べる。写真家のマイケル・ドウェック監督は3年間にわたって彼らの生活に入り込み、信頼関係を築いたうえで貴重な撮影に成功、絵画のように美しい映像美で鮮やかに映し出した。高齢のトリュフハンターたちはトリュフが実る場所を決して誰にも明かさない。T
監督ロベルト・ベリーニ 音楽ニコラ・ピオバーニ 出演ロベルト・ベリーニ ニコレッタ・ブラスキ ジャン・レノ
大学教授で詩人アッティリオ(ベニーニ)と妻のヴィットリア(ニコレッタ・ブラスキ)は別居中。詩人の伝記を執筆するため、戦時下のイランを訪れていた彼女は爆撃に遭って意識不明の重体になってしまう。そんな彼女の事を知り、アッティリオは危険を省みずに現地に向かう。イラク人の詩人ファド(ジャン・レノ)の助けを借りながら奇想天外ともいえる実行力で、愛する人を救うために奔走する。この間、彼の口から泉のように彼女に向けての愛の告白が続く。イラクの最高の医者に語る「彼女がいなければ、この世界の何もいらない。僕が太陽を好きなのは、彼女を照らすから。」 ベニーニが語り続ける心のこもった台詞に観客は顔をほころばせ、幸せいっぱいになります。D
製作総指揮カーク・ダグラス 監督スタンリー・キューブリック 原作ハワード・ファスト 脚本ダルトン・トランボ 音楽アレックス・ノース
カーク・ダグラスが生涯をかけて製作・主演した超スペクタクル。紀元前70年、ローマ共和国が強大を誇った頃の一人のトラキア人奴隷の実話。この男はローマ人の主人たちにより剣闘士として訓練されたが、脱走して自由を得ると奴隷軍を組織して率い、あわや奴隷たちをイタリアから出国させ自由にさせるところまで行く。すさまじい迫力と大スケールの戦闘アクションに満ち、ローマ共和政内部の政争を巧みに描いた。この歴史劇は映画史に残る。原作者のことば「私はこの物語が現代に重要な意味を持っていると考えている。大昔の自由のための戦いが私たちに希望と力をあたえるからであり、スパルタカスは一つの時代だけでなく、すべての時代に生きているからである。」 私マルコは名古屋都心にあった名宝スカラ座で鑑賞しました、3時間を超える長編でなければ、もう一度見たい気持ちで一杯でした。(当時は入替、指定席がない) 元老院貴族議員クラサス(ローレンス・オリヴィエ)、庶民派元老院議員グラッカス(チャ-ルズ・ロートン)、剣闘士養成所を経営する富豪バタイアタス(ピーター・ユスチノフ)、クラサスの召使いの青年アントナイナス(トニー・カーティス、)、スパルタカスの親友エチオピア人ドラヴァ(ウッディ・ストロード)、そして女奴隷ヴァリニア(ジーン・シモンズ)の織りなすシーンは鑑賞後数十年経ても消え去ることはありません。
1年前に製作された『ベン・ハー』は人間とイエスの織りなすドラマでしたが『スパルタカス』は史実に照らした奴隷反乱を人間ドラマとして
見せてくれました。アカデミー賞はピーター・ユスチノフの助演男優賞だけだったのが残念でした。C
脚本家トランボはドラマチックなシーンをいくつか見せてくれました。
奴隷軍がローマ軍に決定的に敗北した後、クラサスの将校が「スパルタカスと呼ばれる奴隷をさし示さなければ全員はりつけ刑にする」と告げるとスパルタカスはゆっくりと立ち上がる、しかし彼が話しだそうとする前にアントナイナスが立ち上がり、二人そろって「俺がスパルタカスだ!」と同時に言う、これを合図に他の奴隷たちも続く、スパルタカスは、これほどの忠誠心を育んだことに感極まり涙を流す・・観客も涙してしまう
グラッカスはヴァリニアと赤ん坊を解放する元老院書簡を書いて、自殺を図るための短刀をもって寝室に引き下がる。バタイアタスは彼女と赤ん坊を乗せた荷車を引いてローマを出てアッピア街道を下っていく・・磔にされた奴隷たちの死体が続く・・ヴァリニアはこと切れる寸前のスパルタカスを見つける。彼女は彼のところに歩み寄り涙ながらに話しかける。バタイアタスは追手に捕らえられるのを恐れ、彼女に荷車に戻るよう懇願する。
台詞の一部を紹介します。
ヴァリニア「これがあなたの息子よ。息子は自由よ、スパルタカス。自由なのよ。息子はあなた、スパルタカスのことを忘れないわ。私が教えますからね。私は息子に父は誰で、どんな夢を抱いていたかを教えます。」
バタイアタス「ヴァリニア・・・・」
ヴァリニア「ああ、私の愛する人、私の命。どうぞ安らかに。安らかに、どうぞ安らかに眠って下さい。私の愛する人よ、ああ神よ、なぜあなたには死がないのですか?」
監督・脚本ロベルト・ロッセリーニ 音楽レンツォ・ロッセリーニ 出演イングリッド・バーグマン マリオ・ヴィターレ レンツォ・チェザーナ
RKOを後ろ盾に伊米合作で制作、ロッセリーニとバーグマンの不倫騒動なくしては生まれなかった映画 ストロンボリ島にオール・ロケ、地元住民の全面協力によって厳しい火山島の風土が活写されている。ヴィスコンティ作品『揺れる大地』(1948)同様、記録フィルムとしても価値がある 第二次大戦末期、ローマの難民収容所にいたカリン(夫と死別したリトアニアの女性)は、そこを出るためにストロンボリ出身の青年アントニオと結婚し、島に戻る。しかし島人たちは他国ものに冷めたく、カリンにとって日々の生活は収容所より辛いものに思われ、島を出たいとアントニオにせがんたが、彼は故郷であるこの島を立去る気持はまるでなかった。カリンは火山の噴火の混乱に乗じ、島を脱出しようと山を越え港を目指すが、ガスと噴煙に身重な体をいためつけられ、神に祈りながら昏倒。翌朝、目覚めるとうそのように火山は鎮まり、明るい陽射しのもと、すべての迷いが消え去ったと感じた彼女は、再びこの地で生き直そうと、決意する。D
監督 ルチアーノ・エンメル 出演 ルチア・ボゼー コゼッタ・グレコ リリアナ・ボンファッティ レナート・カステラーニ マルチェロ・マストロヤンニ
エンメルは「多重化したストーリーで民衆の消費動向を記録する役割を果たし、社会学的調査の実施に貢献した」と言われるが、この作品で納得できる。戦後の混乱期を乗りこえ、漸く明るい兆しが見えて来た50年代初頭のローマ、毎日午後1時5分、スペイン階段にお弁当を食べにやってくる縫製工場のお針娘マリーサ、エレナ、ルチアの3人が主人公。隣接する「シェリー・キーツ記念館」に通う若い教授(作家ジョルジョ・バッサーニが演じる)がナレーションする。マリーサは弟妹が10人余もいる大家族の長女、エレナは公営住宅に母親と二人暮らし、ルチアはテルミニ駅から郊外で降り、さらにかなり離れた厩舎に住んでいる。3人の彼氏たちは毎日たくましく、精一杯生きていて、イタリア庶民の生活ぶりがリアルに伝わってくる。マリーサの彼氏役カステラーニは映画初出演、タクシー運転手役マストロヤンニは後半に登場、失恋のエレナを暖かく支える。 D
監督ジッロ・ポンテコルヴォ 音楽カルロ・ルスティケリ 出演スーザン・ストラスバーグ ローラン・テルジェフ
作家エディス・ブルックの自伝的小説の映画化 ナチスの強制収容所を舞台にした 死と恐怖に満ちた収容所にカメラを据え、極限状況下の人間たちの姿をリアルに捉えた ナチに協力する娘に米女優スーザン・ストラスバーグが扮した。エディット(スーザン・ストラスバーグ)は、両親と一緒に強制収容所へ送られた。両親と無理矢理引き離された彼女は部屋を抜け出し、一般女囚のソフィアや政治犯の医師と出会う。彼らの同情もあってユダヤ人という身分をかくし、一般
女囚としてポーランドの労働収容所に送られる。ここで彼女はインテリ女囚のテレーザに生きることのとうとさを教えられ、なにがなんでも生き抜こうと決心する。一たんは「カポー」(監視員)となったエディットだったが、ソ連軍の捕虜サーシャと出会ったことから運命は残酷な道を歩む。ユダヤ人の家庭で育ち、自からも迫害を受けて来たポンテコルヴォ監督はこの作品で収容所の悲惨さを鮮烈に描きました。T
監督フェデリコ・フェリーニ 出演フランコ・ファブリーツィ アルベルト・ソルディ
リミニを舞台に体ばかり大きくなっても親に頼って何もせず、遊び続けている若者たちを描いた。原題「でかい、育ちすぎた仔牛」。ファウスト(ファブリーツィ)は結婚しても女遊びがやまない、アルベルト(ソルディ)は姉から子遣いをせびるだけ、モラルドだけは怠惰な生活から抜け出してローマへ向かう。後年のフェリーニ作品をみてから、この映画を見るとフェリーニは”モラルドに自己投影している、かれは将来、「甘い生活」の三流記者か「8カ2分の1」の悩み多き映画監督になる”、と考えてしまいます。名作『道』の前年の作品でフェリーニ監督の原点とも言われる映画です。D
監督ベルナルド・ベルトリッチ 出演 ロバート・デ・ニーロ ジェラール・ドパルリュー 音楽エンニオ・モリコーネ
1900年生まれの地主の子と小作人の子を新進気鋭の2人が熱演、狂気のファシスト役ドナルド・サザーランドがまた素晴らしい。1942年のパドリオ政権の成立までファシズムをモチーフにイタリア現代史を描く。5時間を超える上映時間、息つく暇なく見せる、衝撃的なドラマの連続、登場人物の心理描写も巧みでリアル、ベルトリッチの最高傑作に押したい。「権力を持つとはどういうことか」ファシズムを信奉する人々の考え方を描きながら全編を通して、ファシズムを徹底的に批判する。20世紀の巨悪ファシズムが自分たちの国から生まれたという恥ずかしさ、それを阻みえなかった後悔、もあるようです。C
監督ロベルト・ロッセリーニ 主演カルメラ・サツィオ
第二次大戦末期、イタリアに上陸した連合軍はナチ・ファシスト軍と戦っていく、この間に起きた実際の出来事を6つのエピソードにまとめた。シチリアから北部ポー川流域まで、戦後まもないイタリア半島を旅する。前作『無防備都市』でドイツ軍への抵抗を描いたロッセリーニ監督は悲劇の視野を広げました。第1話:連合軍のシチリア上陸 第2話ナポリの少年と米黒人兵 第3話米兵と村娘の出会い 第4話ドイツ軍に占領されたフィレンツェが舞台、イタリア人同士の撃ち合いパルチザンとファシスト間の内戦の様相 第5話アペニン山脈麓のフランチェスコ会修道院が舞台、3人の米軍の従軍聖職者を迎えるが2人の聖職者がユダヤ教とプロテスタントだとわかり・・ひと悶着 第6話パルチザンと米兵に食事を提供した漁師の一家が幼児を除いてドイツ軍に皆殺しにあう 第5話の喜劇的要素に観客はホットする このオムニバスでイタリア人の内部対立、ドイツ軍との戦い、上陸米軍と一般人、戦争に巻き込まれる一般住民など、多面的に戦争末期のイタリアを描きました。一般市民を起用し、わずかな資金と機材で傑作を生みだすロッセリーニに、戦争の残酷さや理不尽さを描きたい、という熱意を感じます。D
監督アレッサンドロ・ブラゼッティ 出演マリオ・フェラーリ ラウラ・ヌッチ アンドレア・ケッキ
ブラゼッティはファシスト政権に振り回されることなく「人民主義」へのあこがれを基に映画制作を続けた。「1860」は、ガリバルディの千人隊がシチリアに上陸した年。イタリア統一を願う強い愛国精神をシチリアのリアルな風景を背景に描いた。こうしたリアルな効果を狙うため、ブラゼッティは1932年にはパレルモに赴き、歴史の面影をのこすロケ地をハンティングし、新聞に広告を出して出演者やエキストラを募ったのだという。登場人物は夫々の母国語を話し、主人公のシチリアの村の青年カルミネッドは、ガリバルディに会いに行くジェノバへの旅の途中で他郷の人たちと話し合うのだが、彼らもまたそれぞれの故郷の言葉を話す。ブラゼッティはこう語っている。「『1860』について誇りに思うことは、イタリア映画のなかではじめてシチリア方言を話させたということです。しかもそのシチリア方言の傍には、トスカーナ方言、ロマーノ方言、ロンバルド方言と並び、すべてがひとつに団結し、ドイツ人やフランス人のドイツ語やフランス語に向かうことになるのです。」 この言語的リアルさは10年後に訪れる戦後のネオレアリズモ時代を予感させました。D
監督ヘンリー・コスター 音楽アルフレッド・ニューマン 出演リチャード・バートン ジーン・シモンズ ヴィクター・マチュア 紀元32年頃、ローマ皇帝カリギュラはキリスト教を徹底的に弾圧した。キリストの処刑を行った護衛官マーセラスは良心の呵責に悩み続けるが奴隷ディミトリアスが差し出した聖衣(キリストが最期にまとっていた赤い布)に触れ、キリスト教の教えに目覚める。しかし、皇帝により恋人ダイアナ姫と並んで死刑に処せられる。2人が刑場に赴く場面では観客の方を向き、喜びにあふれながら歩み続ける、キリスト教の天国で共に生きる来世があるのだから。公開当時は初めてのシネマスコープの大画面上映ということが話題になったようです。”聖書映画”の主人公は回心・改宗によってキリスト教徒になり、殉教によって終わるパターンが多いのですがこの作品はその最たるものでしょう。ダイアナの皇帝カリギュラに向かっての自信に満ちたスピーチ ”イエス殺害はローマの犯した最大の過ちだった” が、この作品のテーマでした。30年代、『緑園の天使』や『オーケストラの少女』で少女スターを世に出したヘンリー・コスター監督は後年、古代歴史活劇もジャンルに加えました。D
監督ナンニ・ロイ 音楽カルロ・ルスティケリ 出演レジーナ・ビアンキ ジャン・マリア・ヴォロンテ レア・マッサリ ジャン・ソレル
第二次大戦末期、ムッソリーニ政権が崩壊し空襲もなくなり明るさを取り戻しかけたナポリ市民はナチス・ドイツ悩まされ続けた。市民は武器所持を禁止され、強制労働、強制立ち退きなどドイツ軍の圧迫下に置かれる。市民たちは蜂起し、ドイツ兵の武器を奪って5名の兵を殺してしまう。ドイツ軍は見せしめのため50人のナポリ市民を処刑しようとするが、刑場にパルチザンが1人、2人と集まり、このグループがドイツ兵に一斉射撃を浴びせる。これがきっかけで老いも若きも市民全体がゲリラ戦列に加わって、ついにドイツ軍をナポリから追い出す。戦争中の抑えた怒りが爆発した高揚感に満ちた集団の物語で、自由への闘争が明確に語られる。出演者たちの顔ぶれも新鮮で頼もしい。1943年9月27日~30日にナポリであった実話に基づいている。原題「ナポリの四日間」 多くの市民がエキストラで参加し、旧市街スパッカナポリ、広場、路地、美しい湾岸地帯などナポリを様々な距離と角度からカメラに収めている。T