やがて来たる者へ 2009

ボローニャの南25キロ、マルツァボットで1944年10月、ドイツ軍は住民大虐殺を行った。一人の少女の目を通してナチ親衛隊の暴虐ぶりを描いた。最後まで目をそらさず見て欲しい、真実に基づく悲劇を見るには勇気がいりますがラストシーンで犠牲となった人々の弔いをかねた平和への長いが描かれ観客はふ~っとため息をく。 監督 ジョルジョ・ディリッティ

出演 アルバ・ロルヴァケル D

野性の眼

60年代、イタリア記録映画は、いわゆる”残酷映画”ブームを巻き起こした。ヤコペッティ監督の『世界残酷物語』がその起点です。その音楽”モア”は映画音楽のヒットチャートを独占し永遠のメロディとなりました。この作品も当然、その流れで製作されていますが、この映画はドキュメンタリーを撮る監督を主人公にする劇映画、という点が面白いところです。砂漠での彷徨。阿片中毒患者の苦み、ベトナム戦争の報道シーンなどの撮影隊の一行のドラマを描きながら、報道は真実か作為か、映像があふれる現代に創る側にも視る側にも警笛となりました。監督パオロ・カバラ、新進女優デリア・ボッカルドはこの映画で注目されたのに、この後、どうなってしまったの?残念です。主役を演じたフランス俳優フィリップ=ルロワの外見がヤコペッティと似ている点も話題になりましたね。C



山猫 1963 186分

監督ルキノ・ヴィスコンティ 原作ランペドゥーサ 音楽ニーノ・ロータ 出演バート・ランカスター アラン・ドロン クラウディア・カルディナーレ 19世紀後半、イタリア統一運動、社会が大きく変わろうとしていた。シチリア貴族サリーナ公爵は滅びゆく貴族社会を実感しながら、自らの死をも予感する。公爵は生活スタイルを変えることなく毅然として日々を送るが、新時代の到来を受け入れざるを得ないことを悟っている。サリーナ家の没落は止めようがないが、一族の生き残りを甥タンクレディに託すため、人生最後の仕事として、新興の土地成金で無教養だが資産は豊かな村長ドン・カロジェロの娘アンジェリカとタンクレディとの結婚を成立させる。娘のコンチェッタのタンクレディへの愛をあきらめさせてまで。「我々は山猫やライオンだった、後を継ぐのはジャッカルかハイエナだ」公爵は山猫として滅びてゆく。ヴィスコンティ監督は同じ貴族の出としてサリーナ公爵のわが事のように描いた。ラスト近くの大舞踏会のシーン、公爵・タンクレディ・アンジェリカを見ましょう、この名作映画最大の見せ場です。原作全8章中、6章までが映画化されています。C

同じテーマの松竹映画『安城家の舞踏会』

(監督 吉村公三郎 1947)も名作



屋根 1956 101分

監督ヴィットリオ・デ・シーカ  脚本チェーザレ・ザバッティーニ 音楽アレッサンドロ・チコニーニ 出演ガブリエラ・パロッティ ジュルジョ・リストッツィ

庶民の哀歓を描いた作品。大戦直後の悲惨さは脱したものの、まだまだ貧しさにあえぐ若い世代に目を向けている。ローマ郊外にはつぎつぎとアパートが建っていくが女中奉公中のルイザとレンゴ工の見習いナターレの新婚夫婦には住む家がない。とりあえずナターレの父親の家に住むことにしたものの、こことてまさにパンク寸前だ。ひとつの部屋に父母のベッド、ナターレの妹のベッド、そしてナターレ夫婦のベッドがひしめきあったいる。ある日、ルイザは建て替えの家が取り壊されているのを目撃する。屋根がのっていないと不法建築扱いで壊された。もし、一夜で屋根をふいてしまえば家として認められる。 ナターレは仲間に協力を頼んで、徹夜作業の結果、家が出来上がり、二人はやっと家をもてた。



揺れる大地 1948 160分

監督ルキノ・ヴィスコンティ 出演シチリア島の住民  今も昔もイタリアには南北問題が存在する。ヴィスコンティ監督は共産党の資金で南部の貧困問題に取り組んだ。ミラノの名門貴族出身の監督、30、40年代の諸活動を通じて貧しきものの立場にたった。シチリア島の漁師の生活、どんなに頑張って魚を獲っても、仲買人たちに買い叩かれその日暮らしは変わらない。漁師一家ヴァラストロ家のウントーニが反発して家を抵当に融資を受けて独立する。最初の漁はイワシの大群に出会って大漁だった、以後は不運続き、嵐に遭ってすべてを失う。恋人に去られ家からも追い出される。一時は自暴自棄に陥ったウントーニだったがラストはまた仲買人の船で仕事をもらって出直す。村八分にされ嘲笑にさらされながらもウントーニは自身に満ちた視線を周りに投げかけ圧倒する。T

誘惑されて捨てられて   1963 118

監督ピエトロ・ジェルミ 音楽カルロ・ルスティケリ 出演サロ・ウルツィ アルド・プリージ ステファニア・サンドレッリ         

マチルデはペピーノと婚約していたが、ある日ペピーノはマチルデの妹アネーゼを衝動的に暴力で誘惑してしまい妊娠させた。怒った父はペピーノにアネーゼと結婚することを約束させた。ペピーノはアネーゼを嫌い司祭のもとに逃げた。父は弁護士を訪ね意見を聞いた。突発的に相手を殺しても名誉を汚された理由で罪は軽いだろうと言われ、息子にペピーノ殺害を命じた。ストーリーだけを追えば深刻な愛憎劇に見られがちだが、流石、ジェルミ監督、お笑いのドタバタ劇として成功させた。シチリアの風習をむしろ愛情を込めて描いているかのようです。カルロ・ルスティケリの哀切なメロディーがステファニア・サンドレッリの陰影のある美貌と素晴らしくマッチしていました。父ヴィンチェンツォ役のサロ・ウルツィはカンヌ映画祭で主演男優賞を受賞 T



郵便配達は二度ベルを鳴らす 1942 134分

監督ルキノ・ヴィスコンティ 原作ジェームズ・M・ケイン 出演マッシモ・ジロッティ クララ・カラマーイ ファン・デ・ランダ   エリオ・マルクッツォ

ヴィスコンティ(当時30代半ば)のデビュー作 ジェームズ・M・ケインの小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1934)の映画化 ローマとフェラーラで街頭ロケを敢行   ポー河沿いのレストランでジョヴァンナ(クララ・カラマイ)は、一回りも年の違う横柄で乱暴な夫ブラガーナとの生活に不満をつのらせていた。そんなある日、機械工のジーノ(マッシモ・ジロッティ)がふらっとやって来た。ジョヴァンナは一目でジーノに魅せられ、一方ジーノもジョヴァンナの官能的な眼差しに欲情をかきたてられた。愛欲に溺れた2人は駆け落ちを決行するが、ジョヴァンナにとって経済的に安定した今の生活を捨ててまで愛を貫く気はなく、後戻りしてしまった。一人で汽車に乗ったジーノはスペイン人の旅芸人と知り合い、気ままな旅を続けた。旅先で偶然、再会したジョヴァンナとジーノは泥酔するブラガーナを事故死に見せかけて殺害した。この後のジーノの苦悩、ジョヴァンナの一途な思い、そして衝撃のラストまで観客は目を逸らすことができない。戦中のファシズム政権下、アメリカの小説を土台に不倫と犯罪をテーマにしたことで反ファシズムの姿勢を見せたと言われる。D



続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 1966 161分

監督セルジオ・レオーネ 音楽エンニオ・モリコーネ 出演クリント・イーストウッド イーライ・ウォラック リー・ヴァン・クリーフ

レオーネは低予算でスタイリッシュなマカロニ・ウエスタン(英語ではスパゲッティ・ウエスタンと呼び、イタリアで撮影されたことと、血が流れることが多いことからついた)を3本続けて撮った。比較的無名だったクリント・イーストウッドをイタリアに呼んで黒澤明の『用心棒』1961のリメイク版『荒野の用心棒』1964を作り、続けて『夕陽のガンマン』1965を撮った。イーストウッドは寡黙で無名のヒーローとなり、この作品『続・夕陽のガンマン』でレオーネとともに不動の地位を築いた。南北戦争時代の設定で盗まれた南部連合の金貨を探すのが抜け目のない賞金かせぎ”善玉”イーストウッド、無法者のイーライ・ウォラック”卑劣漢”、道徳心に欠けるリー・ヴァン・クリーフ”悪玉”の3人。最後の三つ巴の決闘場面は極端とも言えるクローズアップとモリコーネの名曲によって映画史に残るものとなりました。C

欲望      1966 111分 イギリス・イタリア合作

監督ミケランジェロ・アントニオーニ 原作フリオ・コルタサル『悪魔の涎』 出演デヴィッド・ヘミングス ヴァネッサ・レッドクレーヴ サラ・マイルズ

第20回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞 アントニオーニ監督初めての英語映画作品  若くして成功したファッションカメラマンのトーマスは、深夜公園で密会する中年の男と若い女の姿を盗撮する。気づいた女ジェニーにフィルムを渡すよう詰め寄られたトーマスは、彼女のヌード撮影を要求、ジェーンはためらわず上着を脱いだ。撮影が終りトーマスは違うネガ渡した。改めて本物のフィルムを現像すると、そこには銃を持った男と、死体らしきものが写っていた。公園に行ってみると男の死体があり、しかもその男はジェーンと逢引きをしていた男なのだ。しかも、留守中に写真やネガが消えていた。翌朝、彼は再び死体を確認に公園へ行ってみるが、何もなかった。そこへ多数の若者たちが乗り込んできてパントタイムでテニスを始める。テニスに現実の球がないように、彼がみたものは幻想だったのか。『赤い砂漠』に続いて、アントニオーニ監督が男の白昼夢?を興味深く見せてくれました。原題「(写真)引き伸ばし」が「欲望」になったことは作品のイメージダウンに繋がってしまったようです。C



ヨーロッパ1951年 1952 113分

監督ロベルト・ロッセリーニ 出演イングリッド・バーグマン アレグザンダー・ノックス ジュリエッタ・マシーナ

米国商社の駐伊総代理人の妻イレーヌ(バーグマン)は、淋しさから自殺した愛児の事件にショックを受け、「自分がもっとそばにいて子供の話に耳を傾けていれば・・」という深い悔恨から転じて、貧しい人々への支援活動を始める。戦後の混沌とした社会の中、孤児を引取り育てるシングルマザー(マシーナ)とも共感しながら、社会的に弱い立場にある人々に寄り添う。しかし、彼女の純粋な気持ちは夫や家族を含む大人たちには理解されず、精神病院に隔離されてしまう。裕福な家庭の女性がすべてを捨ててまで奉仕活動することはあり得ない、として異端視され、聖女扱いされて終わるラストは社会問題解決の道程の険しさを考えさせる。この作品が投げかけるテーマによって「不滅の問題作」、と評されるのも納得できる作品です。D

寄席の脚光 1950 96分

監督フェデリコ・ フェリーニ アルベルト・ラットゥアーダ  出演ペッピーノ・デ・フィリッポ カルラ・デル・ポッジョ ジュリエッタ・マシーナ   フェリーニは共同脚本&監督作なので、本人は自作としては“1/2”とカウントしている(映画「81/2」の1/2の部分)カルラとジュリエッタは2人の監督各々の妻旅芸人の一座に野心的な娘が飛び込んでくる。彼女に一目惚れした座長ペッピーノはこれまで尽くしてくれたパートナーを棄て、あれこれと世話を焼き、彼女のメジャーデビューに骨を折る。しかし最後には、大きな劇団からスカウトされた若い娘に棄てられてしまい古巣の劇団に戻っていく。制作マネジャーのビアンカ・ラットゥアーダによれば、撮影指揮はラットゥアーダ、いくつかのエピソード(後味の悪いパーティが終わって、役者たちが金持ちの屋敷から引き揚げてゆくところ、貧民宿の場面)はフェリーニが監督  撮影はローマのスタジオとラツィオ州北部で行われた 新聞批評は高かったものの興行的にはふるわず、フェリーニは経済的にダメージを受けた 彼の後の名作のテーマがごっそり詰まっている珠玉のような作品 D