私マルコは「イギリス文学」の森からゆっくり歩きはじめ、「フランス文学」の森をつまづきながらも通り抜け、「ドイツ文学」の森ではビール「アメリカ文学」の森では紅茶をいただきました。「ロシア文学」の森は大木にぶつかったり、避けたりしながらようやく外に出られました。そして、「イタリア文学」の森まで来ました。なんと、すがすがしい、カラフルな森でしょう!!あわてて一歩踏み出したら、たちまち地獄~天国への道行きをすることになってしまいました(^^♪ ダンテ『神曲』
絵画・彫刻・音楽と違い、文学は言語で表現されています、物語の背景、登場人物の言動などから、その国の歴史・社会・国民性を伺うことができます。 私マルコはイタリア旅行者として、文学の世界からもイタリアの歴史・文化を学びたい気持ちがいっぱいです。
13世紀末のトスカーナで生まれた短編集(作者不明)各物語の素材はヨーロッパからアジアに広がり、時代も様々、聖書、ギリシア神話、哲学者、ローマ皇帝、十字軍、プレスター・ジョン伝説、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世、など多岐にわたっています。訳者のおかげで大変読みやすく、短い説話になると10行ほどです、100話読み通すのに、それほど時間は要しません。ボッカティオ『デカメロン』にかなり影響を与えたようで、62話「ここでロベルト殿の話が語られる」(不実な妻にその愛人の心臓を饗する)というお話は、たしかに『デカメロン』にもありました。『デカメロン』の影響でイギリス『カンタベリ物語』フランス『エプタメロン』が誕生したことを思えばこの『ノッヴェリーノ』の文学的影響力は大きいものがあります。
イタリア文学の始まりはダンテとペトラルカとボッカチオ、ルネサンスの訪れ、と習いました、かすかな記憶?
外国文学なので訳者のお力がなければ読むことはできません。イタリア語をどんな日本語に置き換えるか、特に詩の場合、一つの単語、一行のフレーズに日本語を当てはめていく、どの訳文をみても訳者の想像力と語彙力に驚嘆するばかりです。ルネサンス時代(14~15世紀)のイタリアの詩人の作品です。その詩想を日本語に翻訳する、文語調か口語調か、訳者の方々のご健闘(1語・1行の訳に何日も何週間も要する)に感謝しながら、読むだけの読者マルコは幸せです!(^^)!
「西洋文学の中で最も貴重な抒情詩集」 1292-93
13世紀も終わる頃、日本では蒙古襲来のあった時代、イタリアのフィレンツェで読まれた片思いの恋愛詩集、その瑞々しさは時代を越えて読者に伝わります。ダンテ20代後半、「永遠の恋人ベアトリーチェ」が24歳で亡くなるまでの思いのたけをソネット(14行詩)で綴りました。42章の中にはラテン語ではなくイタリア語で書くことについての言語論を展開している章なども含まれています。 亡くなったのは1290年だから詩集の完成はその2-3年後のこと、その面影はダンテにとって消えることなく、ベアトリーチェが生きていた時に書かれた詩も含まれています。この女性のすばらしさをダンテはどのように描いたのでしょう。
訳者(平川)ご自身が指摘する26章のソネット紹介します。
「なんと優しくなんと素直なのだろう。 あの人が人々に会釈する姿は! もう目を上げて直視するのも面はゆい、舌ももつれて声が出なくなってしまうのだ。
あの人がにっこりと挨拶を返すと、優しさが目から心へしみいるような気がする、 それは感じた人でなければわからない優しさだ。」
ダンテとベアトリーチェ 19世紀の画家ヘンリー・ホリデー(英)が「新生」から着想を得た。フィレンツェ:ヴェッキオ橋のダンテと友人を伴ったベアトリーチェ(クリーム色のドレス)。彼女はダンテの視線を避けているように見える。
自らの告白的小説を『新生』と題した島崎藤村はダンテの愛読者だった。イタリア・ルネサンスから時代も場所も異にする、西洋キリスト教文明とはかけ離れた、東洋日本の明治時代の文学者たちは、青年の恋愛感情を爽やかに表したダンテの『新生』のもつ「近代性」「人間性」によって目覚めたのですね。
ペトラルカ カンツォニエーレ 恋愛詩
ペトラルカは1327年 4月6日 南仏アヴィニヨンの教会でラウラという女性を見かけました、
しかし、彼女の隣には夫がいました。この時からラウラは あこがれの恋人、生涯の恋人になりました。貞潔な女性に対する報いられぬ恋、憧れと賛美をおくりました。1348 前年末オリエント帰りの船員がシチリアに持ち帰った黒死病がナポリ、ジェノヴァ、マルセイユを襲いました。内陸にも広がり、春にはアヴィニヨンまできました。最初3日間で1400人死亡 5万の人口半減 1348 4月6日 ペストでラウラ亡くなる。ペトラルカがヴェロナ滞在中に ラウラの死を伝えてくれたのはアヴィニヨンの友人でした。そして、亡き後は 嘆きと喪失感、ラウラに捧げる詩を 366扁書いたのです。自己の内面を生き生きと詠ったペトラルカは、まさに人間再生ルネサンスの 先陣をいくことになりました。
ソネット:14行詩
カンツォーネ:関連した2つの部分と第3の部分からなる詩形
ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」「春」:春の女神が西風ゼフィロスに美しい金髪をなびかせて春の訪れを告げる。 西風が若草に花を蘇させる…これらのモチーフにはペトラルカの影響がありました。
音楽への影響
ダンテ 1265-1321 フィレンツェ生まれの詩人・政治家 ダンテの生きた時代のイタリアはローマ教皇派グェルフと神聖ローマ皇帝派ギベリンの対立が激しさを増していた。フィレンツェでは教皇派が市政の実権を握っていたが、内部は黒党(教皇との結束を強めようとする)と白党(自主・自立を重んじる)に分裂。1300年ダンテはフィレンツェの6人いる代表委員の一人に選ばれた。しかし、ときの教皇ボニファティウス8世の企みで、黒党は白党に所属していたダンテに対し、財産没収・永久追放・許可なく帰国した場合は火刑、という決定を下した。この後、20年、流浪生活の中でダンテは『神曲』を書き上げた。3部構成、キリスト教神学の3という数字が持つ重要性(三位一体)を強調し、3扁(地獄扁・煉獄扁・天国扁)各33の歌から成り立ち、冒頭の1歌が加わり計100歌となる構成。原題は”喜劇コメディア”、これに”神聖な”を付け足したのはボッカティオ、日本語タイトルを”神曲”としたのは森鴎外。
ダンテは自分を追放した政敵や中世キリスト教カトリック的な立場から許せない者たちを次々と地獄に落としていく。すり鉢型の地獄を、敬愛する詩人ヴェルギリウス(彼はベアトリーチェからダンテを案内するよう願われていた)に案内されながら二日間で巡る。教皇を初めとして私欲にはしった上級聖職者に対して遠慮なく責め苦を課す、200年後の宗教改革を予見させる。とはいえ、キリスト教に縁の薄い日本人読者には未知の人々、註でその都度、確認していては「積読」になること明らか(私の場合)、其々の歌の前に訳者が要約してくれている地獄の行程と描かれる人物の大まかな紹介だけを参考に読み進める、稀に出てくるクレオパトラ、ブルータス、ユダといった既知の名前がカンフル剤となり、仇敵教皇ボニファティウス8世がどんな目にあわされているか探す楽しみもあって早々に読み終えることが出来ました。キリスト教の敵とも言えるイスラム教を始めたムハンマドは真っ二つに体を引き裂かれている(28歌)中世キリスト教の世界観からすれば痛快この上ないことでしょう。クレオパトラは肉欲の罪でその魂が地獄の暴風によって吹きまわされ(5歌)、ブルータスは恩義ある人を裏切った罪で怪物ルチフェロに食われている(34歌)。彼らへの罰は厳しすぎるような気がしますが、キリスト教的倫理観ではどんな事情があっても許されない、という事ですね。
煉獄には天国行きは約束されてはいるが、その前に霊を清めなくてはならない人々がいる。7つの大罪を象徴する7つの階段をダンテとヴェルギリウスは通り抜けて行くが、その途上で出会う人々は自らの欠点克服のために苦業に耐えている。例えば高慢な人々は巨石を背負って運びながら謙譲を学んでいる。イタリアの現状、教皇の不法、フィレンツェの政治を非難する(6歌)、シエナの人たちは瞼を針金で縫い付けられて、その瞼の間から涙を流しながら嫉妬の罪を浄めている。そして30歌でダンテは天からやってきたベアトリーチェに漸く会えた。ヴェルギリウス先生はキリスト教以前の人なので聖なる国、天国には入れない、これからはベアトリーチェが天国を案内してくれる、ダンテは歓びで心震えるありさま。
1465 ドメニコ・ディ・ミケリーノ作
フレスコ画
ダンテが『神曲』の本を持っている。背後には地獄とダンテを追放したフィレンツェが描かれている。
ベアトリーチェは1290年に亡くなった女性ではなかった、ダンテを導く先導者であり師なのだ。この変容をダンテは嘆くどころか当然のことのように受け入れる。彼女への愛には尊敬と賛美が加わり、より崇高なものになっていく。九つの天球層を通り抜けて進み、神のいる至高天にたどり着く。天球の各層は宇宙の構造に関する中世の地球中心の考え方に基づく。物語性がなく、天国の仕組みの解説やキリスト教神観の論議が続く、聖書、ギリシア・ローマ神話、アリストテレス哲学(倫理学)、スコラ哲学についての幅広い知識が地獄扁、煉獄扁以上に要求される。私はまず、ここまで読んだ自分を褒めてあげたい、今後は聖書の登場人物や聖人たちの手引書として『神曲』と付き合っていきたい。
1348年 フィレンツェではペストが大流行し人口の3分の2が亡くなった。ペストの難を避けるために郊外の館にうつった男性3女性7計10人が水曜から始まる2週間の間(休息日4日)1日に1話ずつ、延べ10日間、合計100の話をする。
「第1日まえがき」にあるペストの惨状は「黒死病」をリアルに伝えていて、この伝染病についての貴重な資料ともなっている。明日をも知れぬ命、という非日常の環境の中、ふだんは許されない話・階級を越えたエロティックな話をする。新訳『デカメロン』(新潮社)の訳者高橋久の解説・・「さながら現代に生きる人間を思わせる。非現世的、神秘的な暗い中世から明るいエロティシズムで人間を解放し、生きる喜びを与えた。ダンテの神曲に対して人曲と並び称されている」 物語に登場する地名(都市国家・地中海の島々)も様々で楽しい。ヨーロッパ各地で歓迎され英国ではチョーサー『カンタベリー物語』フランスではマルグリット『エプタメロン』が誕生した。
『デカメロン』の10人の語り手を描いた19世紀絵画。作者不詳。7人の女性の中にボッカティオがナポリ滞在中、恋におちたフィアンメッタがいる。各日の「まえがき」と「結び」に彼ら、語り手たちの紹介や雰囲気を伝える文章があって楽しい。
ヴェリズモ(真実主義)・・・マンゾーニ、ヴェルガ、ダヌンツィオ、デ・ロベルト、ピランデッロ、ランペドゥーサ、イタロ・ズヴェーヴォ
20世紀前半・・・ブッツァーティ、オルテーゼ
20世紀後半(ネオレアリズモ)・・・モラヴィア、ヴィットリーニ、プラトーニ、パヴェーゼ、プリーモ・レーヴィ、イタロ・カルヴィーノ、レオナルド・シャーシャ
現代・・・ウンベルト・エーコ、アントニオ・タブッキ、ステファーノ・ベンニ、アレッサンドロ・バリッコ、スザンナ・タマーロ、マルコ・ロードリ、アマーラ・ラークス
19世紀イタリア国民文学の代表、必読の国民古典、世界文学の最高傑作など、たくさんのキャッチフレーズがあります。解説文によれば、有識者調査でも必読書文献の第一が『神曲』、第二が『いいなづけ』で、イタリア語教材として中学国語の教科書に掲載され、ほとんどすべての国民が読んでいる、ということです。17世紀、北イタリアにタイムスリップした感のあるリアルさで読者は1ページ目から引き込まれます。風景描写、そして心理描写と身体の動き、など、マンゾーニの人物造形に太刀打ちできる作家は少数です。主要な登場人物は悪人も善人もそれぞれが一つの小説の主人公になりうる存在感があります。ミラノの北レッコ近くの村の若者レンツォとルチーアはいいなづけの仲、ルチーアの母アニェーゼ、この3人が幸せを勝ちうるまでにいくつかの難関がありました。ルチーアに横恋慕した暴虐な領主ドン・ロドリーゴ、その腹心の部下グリーゾ、臆病な村の司祭アッボンディオはロドリーゴに脅されて結婚式が挙げられない。司祭を支える下女ペルペートゥア、ある事件をきっかけに世のため人のために尽そうと修道士になったクリストーフォロ神父、大司教フェデリーゴ、お家の事情で尼にさせられた修道女ジェルトルーデ、フェデリーゴに会って改心する大悪人インノミナート。1630年ドイツ三十年戦争真っ只中、ワレンシュタインのドイツ傭兵の暴虐と彼らがもたらしたペストによってミラノの人口三分の二が犠牲に・・登場人物たちも災厄に見舞われていく・・ルチーアの聖母マリアへの願いを叶えるための神のご意思だったのか・・、平川氏はイタリア語原文を最高レベルの日本語文に置き換え、作品の品位を高めました。ヴェルディがマンゾーニの追悼ミサに「レクイエム」を作曲しました。レンツォのセリフにマンゾーニのイタリア統一にかける思いが伺えました、ヴェルディは音楽でマンゾーニは文学で運動を盛り上げたのです。
短編集16作品 最初の6扁はタヴィアーニ兄弟によって映画化されているので、その鮮烈な映像体験をした後、原作を読むことになる読者も多いと思います。どの1扁をとっても戯曲や映画のモチーフになるほど背景・人物の設定がバラエティに富み、ユーモアとエロティシズム、そして何よりシチリアへの郷愁が伺えます。プロローグの「ミッツァロのカラス」では農夫チケとカラスの戦い、続く「もうひとりの息子」ではイタリア統一の英雄ガリバルディの施策によって、運命を狂わされた女性が自らの体験を語ります、その深い悲しみに読者は言葉を失います。後半の「長いワンピース」では最愛の母をなくした16歳のディディが、自分のことで手一杯の父親と遊び人の兄といっしょに、ある公爵家に嫁ぎにいく、列車内の出来事が描かれる。母のいた時代の幸せな家庭は消え去り、淋しさと不安で涙がとまらないディディは、2人が寝ている隙に父親が隠し持つ毒入り瓶に手を出してしまう。ディディは死によってしか古い因習から免れることができなかった。どの作品にも個性豊かな人物が登場し、愛情をもって生き生きと描かれていて、100年前にシチリアに生きた人々が瞼に浮かんできます。
表題作、赤毛のマルペーロ、聖ヨセフの驢馬の物語、ルーパ、羊飼イエーリ、グラミーニャの恋人、マラリア、王さまの正体、財産、小地主たち、自由、ネッダの12作品。
表題作はマスカーニのオペラ(1890上演)で知られる戯曲のもとになった、「田舎流騎士道」。全編がヴェルガの故郷シチリアのカターニア近郊、エトナ火山の裾野を舞台とする物語。19世紀後半、イタリア統一運動の時代に生きた貧農たちが描かれる。解説によれば「当時のシチリアは人口の8割は農民か漁民で人々は一日のほとんどを戸外、輝く太陽のもとで過ごした・・」「社会構造は一握りの大地主、管理人、小作人頭、零細農民、季節労働者、羊飼い、鉱山労働者から成り立つ」(解説)。読者は「事実を示し、事実に真実を語らせる」文体によって、『自由』(農民反乱の自分たちをいじめてきた者たちを殺しつくす描写のリアリズム)、『ネッダ』『ルーパ』(強烈な反カトリシズム)などを通してシチリア零細農民の真実を知ることができます。
中部イタリアの寒村に作者が命名したフォンタマーラは20世紀初頭、南部イタリアのどこにも見られた村落である。つまり、この作品で忠実に描かれている出来事は複数の場所で起きていたことになる。村は、はげ山の斜面に張り付いていて家々は不揃いな平屋建てで、雨風や火災にさらされてぼろぼろ、屋根はガラクタで覆われている。独裁者スターリンに暗殺された革命家トロツキーは、1933年、この本について、「なんと素晴らしい本だろう!最初の行から最後の行まで、イタリアのファシズム体制の嘘と暴力と腐敗の糾弾である。この国のすべての農村とその貧困、絶望、・・反乱。語るのは農民自身、どん百姓と物乞いたちだ。・・」と評した。イタリアのファシスト:黒シャツ隊が農民の水を奪う地主の側に立ってふるう暴力のすさまじさがイタリアの農村を知り尽くした作者シローネによって描写されている、目を覆いたくなるドキュメンタリー映画のようです。
士官学校を卒業したばかりのジョヴァンニ・ドローゴ中尉は任地である北辺のバスティニアーニ砦に赴く。タタール人がいつかきっと襲撃してくる、明日かもしれないし数か月後かもしれない、ドローゴは単調極まる日々の中、任地替えの申し出も控えながら何か運命的な出来事が起きるにちがいない、という期待感を捨てきれず30年が過ぎてしまった、今あるのはわびしさと孤独感、後悔の念だけだ。いったい自分の人生は何だったのか、意味があったのか、そしてついに敵が来た・・衝撃のラスト。世界文学としての条件が「何語に訳されようと何らかの普遍性を持っていなければならない」ならば、この作品こそふさわしい。30-40代の読者は人生に希望が持て、50-60代の読者は辛い日々を送っている人ほど安堵感を覚え、70-80代の読者は寂寥感が身に染みている人ほど、歩んできた自らの人生を愛おしく思える。私マルコの推薦図書。
ブッツァーティはヴェネツィアのフェニーチェ劇場近くにギャラリーを持つ、ある画廊主から展覧会の依頼を受けた。30枚以上の絵が必要で、一時は断ることも考えたが、あるアイディア浮かび引き受けることにした。展覧会のテーマが「ある聖女の知られざる奇蹟」となったいきさつが、作者自身によって語られている。作者は父の蔵書に見つけた古びたメモ「ベッルーノ(ヴェネト州)のモレル谷の聖所にて崇められる聖女リータの驚くべき奇蹟」を基に現地を訪れたところ、小柄な老人に出会った。彼に案内されて茂みの中に入ってしばらく行くと小さな家(聖所)があって、内壁は奉納画(聖人に願をかけてかなったときに、感謝して教会に奉納する。病気、事故などの難を逃れた状況を素朴な絵にしたもの)で覆われていた。その後、戦争があって、漸くそこに行けたのは戦後1946年になってからだったが、以前の老人の姿はなく、聖所も痕跡すら残っていなかった。そこでブッツァーティはメモを基に想像力だけで「不可能を可能にする」聖人リータへの奉納画を描いた。ドロミテへ続くベッルーノの美しい山や谷、信仰と迷信が複雑に絡み合って出来た「漫画じたてのポエム」である。
翻訳者河島はパヴェーゼが自殺したトリノのホテルに逗留して翻訳の仕事をした。彼はこの小説の舞台、現在はその葡萄畑の景観が世界遺産《ランゲ丘陵地帯》となっている地方を散策して、アスティ、アルバ、カネッリ、ベルボ川を巡った。ピエモンテ州南東部の1920-40年代、主人公「ぼく」はアルバの大聖堂の入口階段に捨てられていた、アレッサンドリアの孤児院に預けられたあと貧農パドリーノに貰われた。パドリーノにはすでに2人の子がいたにもかかわらず新たに1人引き受けたのは養育費が僅かでも貰えるから・・私生児「ぼく」は成長するに「アングイッラ(うなぎ)」とあだ名される、年上の大工・クラリネット吹きヌートとの友情、農場主の下男となってその高根の華の娘たちとの関わり、兵役、アメリカでの仕事と恋人、聖ジョヴァンナの祭りの日に故郷に帰ってヌートと会う、ファシズムとパルチザンの戦いの中、農場主の娘たちが受けた過酷な運命、などが貧農の暮らしぶりの細部にわたる描写を伴いながら描かれる。文学におけるネオレアリズモの代表作と言われる。美しい自然をバックに劇的なドラマが描かれる、イタリア現代史の一面です。
主人公の2人の女性、アメーリアとジーニアはファシズム体制下、ある都会で日々をおくっている。アメーリアは19歳、定職はなく、画家のモデルとなって小遣いを稼ぐ、カフェでタバコを吸いながら声がかかるのを待つ、ジーニアは16歳、兄セヴェリーノとアパートに住み、町の洋裁店で働いている。ジーニアは工員の兄(黒シャツで集会に行くようなのでファシスト党員らしい)想いで時々おいしい食事を作ってあげようとする。2人はお互いのアパートを訪ね、散歩や映画に一緒に出掛ける、共通の友人としてグイード(画家)やロドリゲスがいる、グイードを巡って2人の友情は微妙になっていき、アメーリアが自分は梅毒にかかっていることを宣言するあたりから物語は緊張をはらんでくる。暗然とした世相のなか、ジーニアに、「美しい夏」は訪れるのか、彼女の心の内奥を瑞々しく描きだしたこの作品はパヴェーゼの遺作となりました。
パヴェーゼ(1908-50)が遺した短編小説の中からイターロ・カルヴィーノが編集出版した短編集。1935年5月15日の朝、一斉検挙で約200名のトリノ知識人が逮捕された。パヴェーゼもその中に含まれていた。ファシスト政権に対する政治運動に加担した(本人は無実を一貫して主張していた)とされ、「流刑三年」の裁決が決まったのは7月15日。流刑地はカラブリア州ブランカレオーネだった。しかし、治安警察から減刑による釈放の知らせが届いたのは1936年3月15日と意外に早く、事実上、8カ月の流刑となった。パヴェーゼは喜びのうちに3月17日、ブランカレオーネから汽車に乗り、ジェノヴァで途中下車して恋人ティーナへの贈り物を買い、トリノに着いたのは19日午後。しかしティーナは既に他の男と婚約していて間もなく結婚してしまう。・・以上がこの短編が書かれた時期の出来事である。(訳者:河島英昭氏による解説)「流刑地」「新婚旅行」「侵入者」「三人の娘」「祭りの夜」「友だち」「ならずもの」「自殺」「丘の中の別荘」「麦畑」いずれも、哀しく、孤独な作者のやり場のない思いが物語りの背景にある。公安警察の監視下、恋人に裏切られた作者は、30年代のイタリア社会の生きづらさをリアルに、しかも作品の中のいくつかは、希望を失くした男たちの周りの女性を、彼女たちの立場で描いている。小さな「麦畑」での収穫を夢見る老いた父親を蔑み嫌悪する娘、エチオピア戦争から帰って来た男を迎える冷ややかな「友人」など、どの作品も背景描写なしで唐突に物語が始まり、重苦しくやり切れない話が続く、しかし10編続けて読むことができるのは、各作品に伺える秘められた魅力と、素晴らしい日本語訳のおかげです。
プリモ・レーヴィと言えば『アウシュヴィッツは終わらない(これが人間か)』(1947)で強制収容所での体験を詳細に書いた作家として知られています。絶滅収容所とはいかなる所であったか、ナチスによる虐待で人々はどのような極限状態に陥ったか、解放直後の生々しい体験談は読者を心底震えあがらせました。今回の全36編の短編集は、一部:アウシュヴィッツ収容所、二部:SF・ファンタジー、三部:魅力的で謎めいた人物が登場するエピソード集の三つに分類されています。一部に描かれる「リリス」(表題)では、アダムの最初の妻リリスがその後、神の愛人となり、女悪魔として地上の害悪の原因になっている、というユダヤの伝承が描かれる。収容所の中でイタリア語を話すロシア系ユダヤ人が語り手。「ユダヤ人の王」ではウーチのゲットー(ポーランドではワルシャワに次いで二番目 1940開設 16万人収容)の長老・議長職ハイム・ルムコウスキを描いた。ドイツ人に足蹴にされなユダヤ人には独裁制を敷いた男の末路はどうであったか、この2編が特に印象的でした。
著者がアウシュヴィッツ収容所に抑留される前年の1943年から自死をむかえる1987年まで、部分的に刊行されていたものが全部で94扁、収録されています。レーヴィは巻頭で「詩とは確実に散文より先に生まれたもの。私は予期せぬ時に試作の衝動に屈した。それは私たちの遺伝的遺産に刻み込まれているようだ。ある時には、考えやイメージを伝えるのに、散文より詩のほうが適している・・」と書いています。「1944年2月25日」:レーヴィが恋人ヴァンダと一緒に列車に乗せられアウシュヴィッツに到着した日であり、彼女との永遠の別れの日でもあった。「ポンペイの少女」:ポンペイで埋没した少女、日記を書いたアンネ、広島で影だけになってしまった少女に思いをはせる。「生き残り」:この詩は詩集の中心に配置されている。「予期せぬ時に」(この詩集の題名)アウシュヴィッツで亡くなった囚人たちがやって来る、自分だけが生き残ったという罪悪感にさいなまれる心情が伺える。印象深い3扁を紹介しました。絶滅収容所を生き抜いたこと自体が奇跡なら、この詩集の存在も奇跡なのです。
タブッキの第一作 トスカーナの小さな村を舞台として、プリニオの家系3代に及ぶ物語が展開します。プリニオは1860年、イタリア統一の英雄ガリバルディ:赤シャツ隊に参加、負傷して足首を切断するが物語は彼の孫ガリバルドが労働運動中にイタリア共和国軍の発砲した銃弾を額に受けて死ぬエピローグから始まる。たまに映画で見かけるフラッシュバック効果がこの作品の新鮮な魅力です。イタリア統一、ファシズムの時代、戦後の共和国までの歴史が庶民の目線で描写されていてタブッキという作家のその後の作品の原点だと言われます。プリニオの長男クワルトはアフリカ戦線に志願し戦死する、プリニオの娘アニータが産んだメルキオーレはファシスト青年団に入り、ドイツ軍を呼び込み多くの村人に死をもたらし、自らは服毒死する、など多くの死が描かれるがユーモアのある語りくちが読者を惹きつけます。
題名が読書欲をかきたてますね。巻頭に「影を追いかければ、時は老いをいそぐ」(古代ギリシア:ソクラテス以前の哲学者)とあります。ピサ生まれながら、生涯をリスボンで過ごした作者が生きた年代、ヨーロッパ現代史は、過酷で忘れ去りたい部分も多い、反面、なぜか郷愁を感じてしまう。タブッキはこれらの記憶をフラッシュバックさせ、意識から消えてしまわないうちに追いかけ、九つの短編物語にまとめました。スイスのザンクトガレンの「円」から、ブカレスト、ブダペスト、ワルシャワ、最終章クレタ島の「いきちがい」まで、物語の舞台の多くは東欧です。主人公たちはハンガリー動乱、ルーマニアのチャウシェスク独裁体制、コソボ紛争に何を思い、彼らを取り巻く時間がどう流れていったのか、厳しかった現実もタブッキの文体によってノスタルジーに満ちた物語に変身しています。2度、3度、と読むにつれ新たな感動が得られます。あとの七編:「ポタ、ポト、ポットン」「亡者を食卓に」「将軍たちの再会」「風に恋して」「フェスティヴァル」「雲」「ブカレストは昔のまま」
シチリアの名門貴族サリーナ公爵家の当主ドン・ファブリツィオが主人公。1860年5月、ガリバルディ率いる義勇軍の南イタリア上陸、ブルボン朝両シチリア王国の崩壊の時期、名門貴族一家の凋落、終焉の過程が描かれる。公爵家の紋章「山猫」が随所に象徴的に登場する。物語の最後に父ドン・ファブリツィオに想い人タンクレディへの愛をあきらめさせられた娘コンチェッタは父の死後も残されていた愛犬のはく製を小間使いに窓から投げ捨てさせる、犬の骸むくろは一瞬、山猫のような姿勢を見せて地面に落ちる。ヴィスコンティの映画《山猫》は原作を越えた、という評があるが賛成できない。時代の雰囲気、社会の変化、シチリアの貴族社会の死滅を自らの死の予感と結びつけて描かれる主人公の内面は小説でこそ味わえる。8部構成のうち映画で描かれるのは1部(1860年5月)2部(1860年8月)3部(1860年10月)4部(1860年11月)5部(1861年2月)6部(1862年11月)までで、7部(1883年7月)は公爵の死、8部(1910年5月)はサリーナ家の私的礼拝堂を司教が訪問する行事がテーマ、コンチェッタからタンクレディ(サリーナ公爵の甥、公爵は娘コンチェッタのタンクレディへの愛を知りながら、新興成金の娘アンジェリカとの結婚をはかり一族の安泰を図った)を奪ったアンジェリカが静脈瘤で死期が迫るエピソードが痛ましい。
作家タブッキが歴史上の人物たちが見たかもしれない夢を各々数ページで描いています。それぞれの登場人物の背景、タブッキが彼らをどう見ていたか、選んだ20人についての紹介文が巻末にあります。先にこちらを読んでから彼らの「夢」を読むのも楽しいです。人の夢を見る夢、まさに幻想そのものと言えます。20世紀イタリアを代表する作家タブッキは実生活のほとんどはポルトガルで過ごし人生の最期の地としてリスボンを選びました。ピサ生まれのタブッキはなぜ母国を去って執筆生活をしたのか、この短編集からは伺えませんが、彼が本人に代わって夢を見る20人の出身地は全ヨーロッパに広がっています。『宝島』で知られる44歳で亡くなったスティーヴンソンの夢は作家冥利につきる夢、「木の人形に不滅の生命を与えた」イタリア統一戦争に参加したコッローディの夢はピノッキオの見た夢かもしれない、「画家にして不幸な男」ロートレックの夢はあまり見たくない部類の夢・・という具合に読者は夢の中の夢を自由に解釈できるのです。この短編集の例にならって読者自身のヴァージョンを夢想するだけでも楽しめますね。
文学作品が映画化されることは頻繁にありますが、原作が大著であるほど映画を鑑賞してから原作に触れるパターンが多いようです。私マルコも「戦争と平和」「カラマーゾフの兄弟」のように映画が先でした。ショーン・コネリー(フランチェスコ会修道士ウィリアム)がホームズ、クリスチャン・スレーター(ベネディクト会見習修道士アドソ:この物語の書き手)がワトソン役でコンビを組み中世の修道院での難事件に挑む、ミステリ好きの映画ファンの多くは映画館に駆け付けました。舞台となる僧院はトリノから、フランス国境スーザに行く途中の車窓から、山の上に石の建造物を伺うことができます。原作はルネサンス期の『デカメロン(十日物語)』のスタイルをとって七日間の物語になっていますが各物語に連続性があってデカメロンのようにどの扁からでも読めるわけではありません。ミステリーのジャンルに入れるべきかどうか、聖書、キリスト教神学論争(実在論と唯名論の普遍論争)、スコラ哲学、正統と異端など、知識が増えれば一層楽しめるエーコの長編第一作です。
訳者あとがき・・シェルバネンコはミステリ作家として日本でいえば松本清張のような存在で、イタリアン・ノワールの父と呼ばれる。女教師マティルデはミラノ・ロレート広場に近い夜間定時制校で13~20歳までの子が混在する学級を教えていた。生徒の大部分は鑑別所送りの経験があるか、父親がアル中、母親が売春で稼いでいる境遇にあり、結核、先天性梅毒の者もいた。この教師が暴行され瀕死の状態で発見された。黒板は卑猥な絵や文字で埋め尽くされていた。警察は生徒による犯行と断定し、その夜、受講していた11名を逮捕、元医師の警官ドゥーカによる容赦のない聞き取りが始まる。衝撃的なラストに至るまでのサスペンスは背景となっている社会の暗部があまりに深く、読者は胸をつかれる。60年代イタリア・ミラノの現実をエネルギッシュに描き、最後まで鳥肌が立つほどの臨場感を味わうことができる。
イタリアの文学賞の最高峰ストレーガ賞受賞(史上最年少26歳) 42か国以上で翻訳 ふたりの主人公アリーチェとマッティアは、それぞれ、幼少期に深い心の傷を負った。父親によるプレッシャーが原因でスキーで足に障害を負ったアリーチェ、生まれつき頭に障害のある双子の妹ミケーラを川岸に残したまま(彼女は行方不明)クラスメートの誕生会に参加したマッティア。かれらは思春期に入ると、さらに挫折感、孤独感を深めていくが、この二人が出会うことで初めて、分かり合えるパートナーを見つけることになります。しかし僅かな行き違いから二人の仲は急速に冷えていきます、タイトルにある素数は孤独を意味し、結局は別々の人生を歩むことを指しているようです。けっしてハッピーとは言えない結末ですが、彼らを取り巻く家族、友人、そして二人の心のひだがリアルに描かれ、最後まで一気に読ませる恋愛小説です。