イタリア音楽といえば、オペラとカンツォーネ !


西洋音楽は教会と宮廷を舞台として始まりました。イタリアは音楽についても最先端をいっていました。モンテヴェルディはオペラ、ヴィヴァルディは器楽の分野で先駆けとなりました。ここではイタリア人作曲家の作品(自分自身が聞いた作品、オペラはCD、DVD、録画)を紹介していきます。オペラはローマのカラカラ浴場跡野外公演『アイーダ』しか体験してません。



イタリア音楽の流れ

  • ルネサンス音楽 15-16世紀 初期音楽  楽譜の発明
  • バロック音楽 1600-1750
  • 古典派 パイジェッロ 1740-1816 「セヴィリヤの理髪師」オペラ 1782 ボーマルシェの戯曲 1816 ロッシーニの同名作が出るまでよく上演された 1970大阪万博で上演された モーツァルト「フィガロ」の契機となった  ブルネッティ 1744-1798 ボッケリーニ 1743-1805 チェロ協奏曲 ヴィオッティ 1755-1824 ヴァイオリン協奏曲  ケルビーニ 1760-1842
  • ロマン派 19世紀前半 パガニーニ 1782-1840 ロッシーニ 1792-1868 ドニゼッティ 1797-1848 ベッリーニ 1801-1835 
  • 19世紀後半 ヴェルディ 1813-1902 プッチーニ 1858-1924 レオンカヴァルロ 1858-1919  マスカーニ 1863-1945 チレーア 1866-1950
  • 新古典主義 レスピーギ 1879-1936
  • 大衆音楽 20世紀前半 カンツォーネ、ナポリ民謡 サンレモ音楽祭1951~・・・・大きな役割
  • 1970-80年代 フォーク ロック シンガーソングライター・・バッティスティ、ダッラ、ダニエーレ、マテイアバザール、ズッケロ
  • 1990~ イタリアンポップス・・ボチェッリ、オクサ、ヴァノーニ、パウジーニ、ネーリ・ペル・カーゾ、ソノーラ

音符・楽譜の誕生 「バロック音楽」

11世紀、トスカーナ州、ベネディクト会修道士グイード・ダレッツォはグレゴリオ聖歌を覚えるのに苦労していた聖歌隊のために四本の線の上に音符を書く 楽譜表記法を考案しました。まさに西洋音楽の基礎、ドレミ唱法が生まれたのです。音楽用語の大半がイタリア語であることがその証しです。ルネサンス時代、教会音楽に加え世俗音楽マドリガーレが発展、音楽の歴史では1600年~1750年を「バロック音楽」の時代という(美術のバロックより長め) バロックとは、前の時代を振り返って否定的(「風変り」「装飾過多」)にみるときに使われた言葉のようです イタリアから始まったこの新しい音楽の先導者はヴィヴァルディ、彼の師であるコレッリ、そして最初のオペラ作曲家モンテ・ヴェルディでした。


コレッリ(1653-1713) 合奏協奏曲 作品6 (全12曲)

ルネサンス時代ヴェネツィア楽派がそれまで無伴奏だった宗教合唱曲に器楽の伴奏を加えた。そして楽器だけの器楽協奏曲がつくられる。「コンチェルト」の誕生。「バロックは協奏曲の時代」と言われる。とくに複数の独奏者をもつ協奏曲のことを合奏協奏曲という。ボローニャで音楽を学び、ヴァイオリニストでもあったアルカンジェロ・コレッリ1653-1713はこの分野を完成させた。比較的CDも入手しやすい。合奏協奏曲ト短調《クリスマス協奏曲》が特に親しまれています。


ペルゴレージ(1710-1736) スターバト・マーテル

モーツァルトよりも、もっと短い生涯しか経験しなかった。中部イタリアのイエジ(マルケ州アンコーナ近郊)に生まれ、当地の大聖堂学長のもとで学んだあとナポリに出て作曲の教えを受けた。そして23歳のときオペラ『奥様女中』を作曲、オペラの歴史に残る傑作となった。その後まもなくして健康状態を悪化させ療養とためナポリの修道院に入った。ここでペルゴレージは最後の力をふりしぼって書き上げたのが《スターバト・マーテル》だった。ナポリの貴族たちの集まり「悲しみの聖母騎士団」と呼ばれる宗教団体から委嘱されたとも言われている。十字架の傍らに佇む聖母マリアの悲しみを歌ったもので13世紀以来、聖歌として歌われ続け、多くの作曲家が作曲している。ペルゴレージの作品が緊張感あふれる嘆きの歌として最も有名で、《スターバト・マーテル》=ペルゴレージとも、言われるほどである。


ヴィヴァルディ(1687-1741) ヴァイオリン協奏曲集《四季》

オーケストラとヴァイオリン・ソロによる曲  協奏曲集「和声と創意への試み」(1725年出版)の第1~4番 この曲の特徴は標題音楽で、協奏曲のジャンルでは初めて。楽譜には作者不詳の14行詩ソネットが付けられ、その詩想を音にかえている。従来の教会音楽は声楽で、音楽はあくまでも歌詞の内容を伝えるための補助的な存在だった。ヴィヴァルディは楽器だけで季節の情景を具体的に描いた、まさに器楽曲、という新しい音楽のジャンルを生み出した。「当時の聴衆は音楽の表すニュアンスをかなり理解出来たのではなかろうか」と言われる。「春」のソネット↓

  • 第1楽章 春がやって来た。小鳥は幸せに満ちた歌を歌い、喜んで春を迎える。泉はそよ風に誘われて、甘いせせらぎの音をたてる。そのうちに空は黒雲に包まれ、稲妻がとどろき雷鳴が春の到来を告げる。やがて嵐は去り、小鳥が再び喜びの歌声をあげる。
  • 第2楽章 花が咲きほこる牧場では木の葉のささやきを聞きながら、羊飼いが犬をわきにはべらせてまどろんでいる。
  • 第3楽章 妖精や牧童達は、すばらしく晴れわたった春の日ざしの中で踊りだす。

パガニーニ(1782-1840) ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ短調

ジェノヴァ出身のニコロ・パガニーニ(1782-1840)、オペラの進化と拡大によって衰退しつつあったイタリア器楽の世界で、彼の優雅で美しい旋律はイタリアのヴァイオリン協奏曲の伝統を再生させた。ドイツ・オーストリアで作られたヴァイオリン協奏曲の名曲がひしめく中、イタリアでは唯一、パガニーニだけが協奏曲の存在感を示した。作曲家が演奏家を兼ねた時代であっただけに彼はヴィルトゥオーゾ(誰もできない超絶技巧を駆使して演奏する人)としての国際的なキャリアは「あらゆる時代を通じて最高のヴァイオリニストであり、作曲家だった。」 『ヴァイオリン協奏曲第1番』が最もポピュラーですが、まだ未聴の方は是非、『第4番ニ短調』をお試し下さい。第1楽章の悲愴感あふれる第1主題、抒情的な第2主題 これを聞くだけで優雅な一日を過ごせるでしょう。フランツ・リスト(1811-1886)は、初恋に破れ、意気消沈していた20歳の時、パガニーニの演奏で『ヴァイオリン協奏曲第4番』を聞いて、「僕はピアノのパガニーニになる!」と奮起し、「ピアノの魔術師」となった、というエピソードは事実かもしれません。


ロッシーニ(1792-1868) スターバト・マーテル

オペラ作曲としてのイメージが強いが、1830年ころ彼は人生半ばにして突然、作曲をやめてしまう。1830年パリに七月革命が起こり、かねてから彼に好意を惜しまなかったシャルル10世が退位したことと関連があるのか、不明である。ロッシーニは《ウィリアム・テル》を最後として21年間に39作というオペラ作品を残した。

残りの人生で数曲の器楽曲と宗教音楽を作曲した。《スターバト・マーテル》は”スターバト・マーテル・ドロローザ”(悲しみに沈める聖母はたたずみたまえり)で始まる3行詩、中世以来、広く流布した聖母賛歌で、作はウンブリアの僧ヤコポーネ・ダ・トーディとされるが確証はない。ミサやレクイエムのように典礼をさすものではなく、トレント公会議(1543-63)以後は聖務日課として聖歌として用いられた。ペルゴレージの影響を強く受けていたとはいえ、ロッシーニの作品は旋律の素晴らしさで身がひきしまる思い・・第6章の四重唱まで、初めから歌詞カードを眺めながら、じっくり聴いてみましょう。


ヴェルディ(1813-1901) レクイエム:死者のためのミサ曲

オペラ作家ヴェルディは宗教音楽レクイエム(死者のためのミサ曲)を、惜しくも亡くなった敬愛する二人のために作曲した。先輩作曲家ロッシーニとリソルジメント運動で重要な役割を担った小説家アレッサンドロ・マンゾーニの死に心を痛めたからだ。ロッシーニが亡くなった1868年、ヴェルディは奇しくもミラノでマンゾーニと出会っていた。イタリアを代表する偉大な芸術家2人の死をかみしめることで作曲が完成。1874年ミラノ、サン・マルコ教会において、ヴェルディ自身の指揮で初演が行われた。ヴェルディが使用した台本(祈祷文)はレクイエムが希求するものは、死者に与えられるべき永遠の安息であり、平和と慈悲である、という内容を凝縮した7楽章で構成されている。大太鼓やトランペットなどの楽器群によるオーケストラの響きはレクイエムの名曲たち(モーツァルト・フォーレ・ブラームス・ベルリオーズの作品)の中でも群を抜き、オペラ的なレクイエムと非難の多い曲ながら、第2曲「怒りの日」の合唱は一度耳にしたらまた聴きたくなる気持ちが抑えられません。バッハのマタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ブラームス:ドイツレクイエムと並ぶ私マルコの大のお気に入り教会音楽です。


レスピーギ(1879-1936) ローマ三部作:ローマの泉・松・祭り

レスピーギは近代的なオーケストラを効果的に扱った管弦楽作品を作曲した、ほとんど唯一ともいえるイタリア人作曲家である。北イタリア、ボローニャで誕生、当地の音楽院でヴァイオリンと作曲を学んだのち、ロシアに赴き管弦楽法の大家リムスキー=コルサコフに師事した。1913年ローマで音楽アカデミーの教授に迎えられ、生涯ローマに留まり創作活動を続けた。古都ローマを深く愛し、その風物や史蹟から多くのインスピレーションを得ながら作品を作り上げた。

 

第1作 ローマの噴水 1916年作曲 3曲中もっとも印象派の匂いが強い。古都に多数見られる噴水の中から4つを対象に周囲の風景、眺める人に最も印象的に映る時の情景を描く。4つの楽章はつづけて演奏される。

  • 第1楽章 夜明けのジュリアの谷の噴水・・ローマの夜明けの霧の中を羊の群れがどこかに通りすぎてゆく牧歌的な風景を描く。
  • 第2楽章 朝のトリトンの噴水・・朝の陽光に照らされてまばゆいばかりのトリトン(半人半漁の海神 ほら貝を吹く)とナイアード(水の精)たちが遊ぶ
  • 第3楽章 昼のトレヴィの噴水・・輝く水面を海馬が引くネプチューンの馬車と、それに続くシレーヌ(海の魔女)とトリトンの行列が通り過ぎる
  • 第4楽章 たそがれのメディチ荘の噴水・・夕暮れの郷愁のひととき。大気は鐘の響きや小鳥のさえずり、樹々のざわめきなどで満ち溢れており、やがて夜の静けさの中に消えてゆく。

第2作 ローマの松 1924年作曲 3曲中もっとも芸術的。7つの丘に囲まれた古都ローマの特徴的な風景のひとつである万古の松の木に託してローマ時代を回想した。

  • 第1楽章 ボルゲーゼ荘の松・・ローマ屈指の公園で遊ぶ子供たち 絢爛たるオーケストレーションに耳を奪われ瞬時に終わる 
  • 第2楽章 カタコンブ付近の松・・まだ公認されていなかったキリスト教徒たちの聖歌の合唱が地下から聴こえてくる幻想を音楽化した 
  • 第3楽章 ジャニコロの松・・満月に照らされて影絵を浮かべるジャニコロの丘の松 官能的な南国の夜 終わりにはナイチンゲールが啼く 
  • 第4楽章 アッピア街道の松・・霧深い夜明け、古代ローマの軍隊が遥か彼方からやって来て、眼の前を堂々と進軍してゆく壮麗な幻想 

 

第3作 ローマの祭り 1928年作曲 3曲中もっとも通俗的で親しみやすい 他の2曲を上回る大編成オーケストラを駆使して古代ローマ、ロマネスク、ルネサンス、現代の祭りの気分と幻想を描いた。 

  • 第1楽章 チェルチェンセス・・コロッセオでネロ皇帝が行った残忍な祭りの描写 人々の雑踏と喧騒 トランペットのファンファーレ 突然、鉄の扉が開かれて飢えたライオンが出現、恐ろしい咆哮、やがておごそかで悲痛な調べ ライオンが殉教者たちを喰い殺した有様を描く 凄惨な終わり 
  • 第2楽章 50年祭・・巡礼の一群がローマに向かって歩いてゆく 古い讃美歌の調べ 音楽が高潮すると、ついに夢にまで見た永遠の都ローマが丘の頂から見える 祈願の合唱は大きな勝利の合唱に変ってゆき、遠くの寺々から鐘の音が鳴りわたる。終わりには鐘の音に角笛が重なるが、これはつぎの3楽章の旋律で、そのだぶった効果が愉しい 
  • 第3楽章 10月祭・・ブドウの収穫を祝うローマ郊外の祭り 夕暮れが近づくと角笛はノスタルジアをかき立て、急に鈴の音とともに人々の踊りが始まる。ナポリ民謡がヴァイオリンの合奏で奏され、南国の祭りのムードが高まる。やがてセンチメンタルなマンドリンのセレナーデがどこからともなく流れ、ヴァイオリン独奏が官能的で悩ましい恋歌を切なく歌いつつ終わる。 
  • 第4楽章 主顕祭 ナヴォナ広場で開かれる騒がしい祭りの前夜を描いた 

   イタリア人作曲家による純然たる管弦楽曲はレスピーギのローマ三部作だけ、指揮者、オーケストラ、を聴き比べてみれば、”永遠のローマ”

   のように末永く楽しめます。!(^^)!

   


ウニポールスタジオ ラウラ・パウジーニ ボローニャ公演

イタリアポップス界の女王ラウラ・パウジーニの公演に行けるチャンスが来るとは信じられない。彼女のCDはほぼ全部買い、マイカーにも入れてありますが、まさか本物が聴けるとは、駅前からの臨時直行バスの往復チケットと入場券合わせても30ユーロちょっとで行けました。サンレモでの優勝後、デビューして何年も経つというのにイタリアでの国民的人気にはかげりがありません。場外のお店でポスターはもちろん、コップやらキーホルダーやら関連グッズ全部ゲット日本公演は絶対ありません 彼女の魅力はやはり声ですね。 まだ1度も耳にしていない方、お試し下さいね


ラウラ・パウジーニ ヒット曲 non,c’e

イタリア人ならば誰でも、つい、口をついて出てくる ”ノンチェ” 熱気で少し画像乱れています。(^^♪

歌の趣旨:突然、恋人が去ってしまった、私の人生から消えてしまった。恋の切なさを歌い上げています。