プッチーニ紹介 1858・12・23 ルッカー1924・11・29 ブリュッセル


ヴェルディに続くオペラ作曲家で、全12曲のほとんどが、今も世界のオペラ劇場を飾っている。プッチーニ一家は代々ルッカで音楽家として知られ、父ミケーレは奇しくもヴェルディ、ヴァーグナーと同じ1813年生まれである。作曲家、演奏家、教育者として活躍したが、ジャーコモが5歳のとき病死した。しかし母の励ましと、父の弟子カルロ・アンジェローニの指導でジャーコモは楽才を伸ばし14歳でオルガン奏者として認められた。1876年ピサでの《アイーダ》公演を見るために徒歩で往復し、ヴェルディに憧れオペラへの道を進む決意を固めた。1880年マルゲリータ女王の奨学金を得てミラノ音楽院に入学、貧しかったマスカーニと下宿を共にして苦学を続けた。1883年第1作北国の妖精伝説《ヴィッリ》から1924年最後の作品《トゥーランドット》まで12作品を書いた。《トゥーランドット》作曲中、咽喉癌治療のため訪れたブリュッセルで客死、直接の死因は心臓麻痺だった。1920年代後半、映画やミュージカルがオペラに代わる大衆娯楽として登場してきたため、プッチーニの《トゥーランドット》がオペラの歴史の最後を飾る作品となった。


『ラ・ボエーム』(4幕) La boheme イタリアご台本イッリカ&ジャコーザ

ミュルジェの小説《ボヘミアンたちの生活情景》に基づく 1893-95作曲 1896.2.1 トリノ・レッジョ劇場でトスカニーニの指揮により初演 演奏時間:約2時間  概要:1830年頃のパリの学生街ラテン区で、その日暮らしに身をやつしている4人の芸術家、詩人ロドルフォ(T)、画家マルチェッロ(Br)、音楽家ショナール(Br)、哲学者コッリーネ(B)の友情と、そのうちのひとりロドルフォと病弱のお針子ミミ(S)の悲しい愛をつづった物語。

一口メモ:プッチーニの12のオペラの中でも、最も抒情性に傑出している。プッチーニのもつ旋律美が全編にあふれ、この作品は彼の代表作であるばかりでなく、古今のオペラの中でも最高傑作のひとつと言われる。同じ原作によって[道化師]のレオンカヴァッロもオペラ化しているが、自分が作曲しているのを知りながら、後から手を付け、しかも自分より先に発表したプッチーニを激しく非難したエピソードは有名。ドビュッシーは「当時のパリをよく描いた作品」と絶賛。短い青春と庶民生活をリアルに描いた迫力は感動的、青春の哀歓が漂う  ロドルフォのアリア《冷たい手を》1幕⇒プッチーニの数あるアリアの中でも最もメロディーが美しく抒情的な雰囲気に富んでいる  ミミのアリア《私の名はミミ》1幕《別れの歌》3幕⇒ロマンティシズムに満ちている、マルチェッロの恋人ムゼッタ(S)が歌うワルツ2幕⇒最も好んで歌われるワルツ、フィナーレ⇒ミミの死を知ったあとのロドルフォの絶叫に観客は涙がとまらない


『トゥーランドット』(3幕) Turandot イタリア語台本アダーミ&シモーニ

ゴッツィの戯曲に基づく 1920-24作曲 1926.4.25 ミラノ・スカラ座でトスカニーニの指揮により初演 演奏時間:約2時間  概要:伝説上の北京が舞台 皇帝アルトゥム(T)の娘であるトゥランドット(S)の美貌にひかれた、ダッタンの前国王ティムール(B)の息子カラフ(T)が結婚の条件である3つの謎解きに命を賭けて挑戦、彼を慕う召使いのリュウ(S)の犠牲を経て、みごとにトゥランドット姫を勝ち取るまでが描かれる。

一口メモ:これまでのオペラとはまったく別の手法による革新的(和音・管楽器・打楽器の効果的な使用等)な作品で伝来の中国の音楽が効果的に折り込まれている。厚いオーケストラの響きと独特な和音が現代音楽を感じさせる。ドラマティック+抒情的+コミカルをひとつの劇音楽にまとめた「幻想の中国」 3幕前半の「リュウの死」まででプッチーニは咽喉癌で他界、残された草稿をもとに全曲を完成させたのは弟子のアルファーノ、初演を指揮したトスカニーニは「プッチーニ先生がお書きになったのはここまでです」と言って、リューの死まで演奏して指揮棒を置いた リューのアリア《王子様、お聞きください》1幕、《氷を身にまとった姫君よ》3幕⇒短い音楽だがリューの純粋な心を見事に表現、愛を讃えた音楽の中でも最も美しいもののひとつとされている トゥーランドットのアリア《この王宮に絶望の叫びが鳴り響いた》2幕⇒神秘に包まれたトゥーランドットが登場する場面で歌われる圧倒的な迫力と緊張感に富んだアリア 北京の3人の大臣ピン・ポン・パンの三重唱⇒1幕と2幕の間の幕合劇でプッチーニの今までにない側面が伺える曲


『蝶々夫人』(2幕) Madama Butterfly イタリア語台本イッリカ&ジャコーザ

ベラスクの戯曲に基づく 1900-03年作曲 1904年2月17日 ミラノ・スカラ座で初演 

概要:近親の非難を浴び、改宗してまで真実の愛を貫こうとする蝶々さん(S)は、領事シャープレス(Br)の忠告にもかかわらず、かりそめの結婚を望んだアメリカ合衆国の海軍士官ピンカートン(T)のその真意に気づかぬまま結婚し、間もなくアメリカに戻っていった彼を、スズキ(A)と共に待ちわびている。やがて3年後にピンカートンが連れて来た正式の妻ケート(Ms)を見て、真実を知り自害して果てる。

一口メモ:明治時代の長崎を舞台に展開され、《さくらさくら》《君が代》《越後獅子》など日本の音楽を内包、異国情緒の強い作品とされる 19世紀後半、ヨーロッパで日本文化がブームとなったジャポニの影響で生まれた ピンカートンとシャープレスの二重唱《自由なアメリカ人は世界の海に》1幕⇒アメリカ国歌を題材にヤンキー魂を歌う彼にはそもそも夫という意識すらなかった、一方シャープレスは人情味あふれるメロディを歌う 蝶々夫人のアリア《ある晴れた日に》2幕⇒ピンカートンは帰ってくる、いちずな愛を歌った蝶々夫人、「世界で最も有名な日本人」になった 蝶々夫人のアリア《おまえ、おお愛しいおまえ》3幕⇒死を決意した蝶々夫人に走り寄って来るわが子を抱しめながら歌われる悲痛なアリア 


『西部の娘』(3幕) La fanciulla del West イタリア語台本ザンガリーニ&チヴィニーニ

ベラスコの戯曲に基づく 1908-10作曲 1910.12.10 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で初演 演奏時間:約2時間20分  概要:19世紀、ゴールドラッシュ時代のカリフォルニアが舞台 盗賊団の首領ラメレス(T)と酒場の女主人ミニー(S)の恋の物語 お尋ね者ラメレスの逮捕に躍起になる保安官ジャック(Br)はミニーに肩恋慕、ついに恋敵のラメレスを処刑台に送り込む。しかしミニーの命乞いにより二人は許され新天地を求めて旅立ってゆく。

一口メモ:プッチーニの米国訪問は1907年 ニューヨーク42番街でベラスコの戯曲《黄金の西部の娘》を観劇 オペラ化への意欲を抱き、ジャズなどアメリカ音楽の要素も取り入れながら作曲  映画の西部劇の前身として見るのも面白い(西部劇映画の古典:ジョン・フォードの《駅馬車》は1939年) バンジョーなどの楽器や西部のバラッドを多用、インディアンやメキシコの音楽を巧みに取り入れ、酒場でのポーカーゲームの演出など開拓時代の雰囲気を醸し出している 金鉱さがしの鉱夫たちの憧れの的ミニーは他のオペラのヒロインとは全く異なる女性像であるせいか、この作品はアメリカ以外ではあまり人気が出なかったとか・・ヨーロッパの視点から見れば中国(トゥーランドット)・日本(蝶々夫人)と同じく新大陸アメリカはエキゾティズムの対象だった 3幕ラメレスのアリア《やがて来る自由の日》が希望を抱かせる


『トスカ』(3幕) Tosca  イタリア語台本イッリカ&ジャコーザ

サルドゥの同名の戯曲に基づく 1896-99作曲 1900.1.14 ローマ・コンスタンツィ劇場で初演 演奏時間:約2時間  概要:舞台は1800年6月のローマ 歌姫トスカ(S)は、自由主義者である恋人の画家カヴァラドッシ(T)が、警視総監スカルピア男爵(Br)により逮捕され拷問されているのを助けるため、スカルピアの横恋慕に応じると見せかけ彼を刺し殺す。カヴァラドッシの処刑は偽装のはずが実行されてしまい、恋人を失ったトスカは飛び降り自殺をする。

一口メモ:長年、北イタリアを支配していたオーストリア軍とナポレオン軍が戦った時代が背景。 三人の中心人物がナイフで刺されたり、鉄砲で撃たれたりして死んで行く、終始緊迫感に富んでいる トスカのアリア《歌に生き恋に生き》2幕⇒絶望の淵におとし入れられたトスカの心を優しく慰める温かい音楽 カヴァラドッシのアリア《星はきらめく》3幕⇒数あるテノールのアリアの中でも最も親しまれている名曲